花はほころぶ、蝶は飛ぶ - 2/3

 パパたちのカミングアウトから、早いものでもう一週間。日曜日の昼下がり、わたしはいつもみたくパパの道場のお手伝いに行こうとも思えなくて、誰もいない和室に寝転がっていた。
 あれからずっと、あのときのことを考えている。考えている、というか、頭の手前側が全部あのときのリビングで止まっている感じ。そこから抜けだすことが出来なくて、次の日を迎えることも出来なくて、思考はずっとリビングのなかをぐるぐる回る。でもそうしたって、答えなんて見つからない。どうすればここから出られるのか、そのヒントさえわからなかった。
 まるで、まだ解き方を習っていない数式と出会ったときみたい。どうしよう、が積み重なってぼんやり憂鬱になり始めた頃、襖の開く音がした。
 のしのし歩くくまさんみたいな足音、畳を踏むときの癖。顔をあげなくたってわかる、だってわたしはパパの子どもだから。生まれてからずっと聞いていた、パパの足音。首をちょっと動かしたら、パパがわたしのすぐ傍に座って胡坐を掻いた。
 パパはじいっとわたしを見下ろす。わたしもパパをそっと見あげる。でもパパは喋らない、自分から話を切りだすのが苦手だから。昔からいっつも、わたしがこう聞いていたのだ。「どしたの、パパ」。それでやっと、パパは重いくちを開けられる。
「……お前にとっては、やはり、いい話ではなかったな」
 それは本当に珍しい、ちょっと後悔したみたいな声だった。パパが後悔するところなんて、もしかしたら初めて見たかもしれないくらい。だからちょっと驚いちゃって、ちょっと黙っちゃって、でもなにか言わなきゃいけない気がして。手を動かした。指が畳を滑る。パパの手がそれを包んでくれた。
「……前も言ったけど、わたし、パパと血が繋がってないからって、だから嫌って思わないよ。血が繋がってなくても、わたしのパパはパパだもん」
 昔、わたしが安貞に癇癪を起こして泣き喚いたあと。こうやって和室でふて寝をしたときも、パパがいまみたいに隣にきてくれた。パパはなにか言ってくれたり、慰めてくれたりしたわけじゃなかったけど、ずっと頭を撫でてくれた。パパはそうやって、わたしのパパでいてくれた。
「でも、さあ。パパはさ、神さまじゃん」
「ああ、まぁ、そうだな」
 見あげるパパは、わたしにとってはパパでしかないのに。わたしにとって以外のパパは、パパじゃなくって刀剣男士なのだ。時間遡行軍と戦って、わたしたちの平和を守ってくれている神さまのひとり。
 そのことを思うと、また思う。どうしよう、って。
「じゃあさぁ、パパがわたしを育ててくれたのはさぁ、わたしがパパの子どもだからじゃなくて、わたしが人間だからじゃんかぁ」
 わたしにとってのパパは、パパなのに。パパにとってのわたしは、娘じゃないのかなって。国広くんたちと毎日一緒にごはんを食べたり、わたしの入学式には校門前で集合写真を撮ったりしたのは、わたしたちが家族だからなんじゃなくて、刀剣男士が人間を守る行為でしかないのかなって。パパたちが神さまだったんだって聞いてから、そんなことばっかり考えてしまっている。
「わたしは、友だちのお父さんをパパとは思わないよ。わたしのパパは虎徹パパだけだもん。でもパパたちにとっては、わたしも、わたしの友だちも、先生も、みんな一緒じゃん」
 神さまは、人間を等しく大事に思ってくれている。だから刀剣男士たちは人間のために戦ってくれるんだって、そんなことは幼稚園のときから先生や色んなおとなから教わっていた。だからパパたちがみんなを大事にしてくれるのは、いいことだってわかっている。
「わたしは、パパの娘だから大事にしてもらってたわけじゃ、ないじゃんかぁ……」
 それでもわたしは、それが悲しい。だってそれなら、みんなのことを家族と思っていたのはわたしだけってことになってしまうから。悲しくて、虚しくて、どうしたらいいかわからなくて、結局どうにも出来なくて、さみしい気持ちを、どうしよう。
 ずっと我慢していたのに、堪えきれなくて泣いてしまう。パパから手をほどいて目元を押さえていると、そっと頭を撫でられた。大きい手のひらの全部ですっぽり包むみたいな、パパだけの頭の撫で方。
「そんなことはない。……そんなことは、ないんだ」
 パパの声がする、パパの指がある。パパの手はわたしの手のひらごと目許を覆ってしまって、瞼を開けても真っ暗闇。だから私はパパがどんな顔をしているのか、わからなかった。
「確かに、おれたち刀剣男士が人間を守らんとしているのは事実だ。おれたち付喪神は、ひとびとの思いによって生まれいずる存在だからな。……だが、神はさして公平ではない。我が子の結婚を許さず婿へ執拗な嫌がらせを繰り返したり、我が子の勝利のために裏から手を回したりと、神ですら身贔屓をしてしまう」
 パパがこんなに喋るだなんて、明日は空から槍が降ってくるかもしれない。そんなことに驚いていると、目と手のうえからパパの手がいなくなる。泣いた跡を擦ってから見あげたら、パパはちょっとだけ笑っていた。思わず身体を起こす。パパはまた、わたしの頭を撫でる。
「ひとびとを守りたい、その思いはもちろんある。だがおれは、お前を一等守りたい」
 お前は、おれの大事な娘だからな。
 そう言われてしまったから、また涙が出てきてしまう。「ぱぱぁ」しがみついて、パパの胡坐のうえに乗る。昔はすっぽり収まっていたのにいまはもう入らなくなってしまって、それでもパパは子どもの頃みたいにわたしを抱き締めてくれた。
「お前は覚えていないだろうがな。一歳になる頃だったか、はいはいが出来るようになるとお前はすぐあっちこっちへ行ってしまっていたから、まるで目が離せなかった。それでもおれが呼ぶと必ず戻ってきたから、あいつらに言われたんだ、おれが父親のようだと」
 なんの遠慮もない、そのせいでちょっと痛いくらいのぎゅっとした抱き締め方。子どもの頃はそれが本当に痛くて、何回か泣いては国広くんに抱っこを替わってもらったのを覚えている。国広くんの抱っこは優しくて、兼さんはいつもおっかなびっくり。清光はほっぺまでくっつけてぎゅっとしてくれて、安貞はちょっと大雑把。そうやって、みんなに抱っこしてもらって、でも結局いつもパパの力加減が下手な抱っこに戻っていた。
「そうしたら、お前が呼んでくれたんだ。ぱぱ、って」
 いまだってちょっと痛いくらいで、でもそれだけ目いっぱいに抱き締めてくれるから、わたしはパパに愛されてるんだって感じられる。涙は止まらないから拭くことも諦めて、べたべたになった顔でしがみついても、パパは嫌な顔ひとつしなかった。
「だからおれは、お前の父親になろうと決めた」
 ぎゅっとする強いちから、髪もちょっと雑に撫でられる。その全部が、パパだった。
「お前がおれを、お前のパパにしてくれたんだ」
 わたしの大好きな、わたしだけのパパだった。