キッチンから愛を込めて - 2/4

 男の子は自分で言った通り大層料理が上手で、私が野菜を洗う手すら覚束ないのに反して、彼はてきぱきとキッチンで料理の下準備を進めていく。それでもひとりで勝手に準備を進めはしなかったから、私のもたもたした手つきは、やたらとあたたかい目で見守られていた。
「こ、これでいい?」
「うんうん。そしたら次は野菜の皮を剝いて、そいつを切ってこうねえ。どんな切り方でも大丈夫だけど、一口大にしたら食べやすくていいんじゃないかな」
 洗いかごに転がるジャガイモとニンジンのためにピーラーを取りだして、流し台のうえで皮を剥く。その間に男の子は「ちょいと冷蔵庫開けるねぇ」と言ったから、うん、と生返事。ジャガイモの凹凸と戦っている間に、彼はほかに必要なものを用意してくれた。
「……ねぇ、今日のごはんって」
「うん、カレーさ。さっきカレールウが入ってたの見つけたんだ」
 ルウはまだ出てきていないけど、冷凍されていたお肉も出されたらメニューは私にも思いつく。それこそ調理実習や林間学校での定番は自分でも作った覚えのあるものだったから、ちょっとほっとしてしまった。
「それなら作り方わかるかも」
「おっ、頼もしいねえ。じゃあ野菜はお任せしちゃおうか」
「ま、待ってよ、自信ないんだから!」
「あははっ、それなら一緒にやるさ」
 でもその途端に意地の悪いことを言われたから慌てて隣を見ると、男の子は笑いながら小さなボウルに水を張る。「切ったジャガイモはここに入れてね、水にさらしとくといいんだ」そういえば小学校の調理実習で言われた気がすることも、彼はなんてことのない気軽さで話してくれた。
 その気軽な雰囲気に助けられながら、なんとかジャガイモを一口大に切っていく。そうして一個を切り終わったところで、私はふと気がついた。
「材料、これじゃ足りなくない?」
「そうかい? ひとりぶんならこんなもんだよ」
「えっ、きみも食べてくんじゃないの?」
 男の子にわたされた野菜は一個だったり、半分だったり。量が少ない気がして尋ねてみると、キッチンに並んでいるのは私の食べるぶんだけなのだという。一緒に作るのなら一緒に食べるものだとばかり思いこんでいた私が思わず目を丸くさせたら、男の子はきゅうっと眉の先を下げて笑った。
「言っただろ、おれはあやかしだって。だから、ごはん食べなくても平気なんだ」
 気にしなくていい、と彼は言う。でも彼の見た目は間違いなく小学生くらいで、そんな小さな子ども相手にごはんのひとつも用意しないというのは、良心がひどく苛まれるものだった。「でも……」それに彼がなにも食べないなら、料理のお礼も出来やしない。さすがにそれは、ちょっと。そう思っていたら、男の子は、ふっと笑顔をほどいてまたたいた。
 ぱちり、ぱちり。ふわふわとした睫毛の動く音が聞こえてきそうな、ゆっくりした動きのあと。彼はまた、花がほころぶような笑顔になった。
「……ううん、やっぱりご相伴に預かろうかなぁ。ごはんは、みんなで食べたほうが美味しいからねえ」
 そんなことは正直、一度も考えたことがなかった。だから私は彼の言葉にぽかんとしてしまって、でも、すぐカウンター越しにリビングを見る。きっとこの子の言ったことは、私が自分の部屋からテディベアを連れてきたのと、同じであるような気がしたから。
「……うん、そうだよ。だから一緒に食べよ」
「うんうん。ならジャガイモもう一個出して、ニンジンも一本入れよっか」
 半分だったニンジンは一本ぶんにして、ジャガイモは全部で二個。さっきよりはちょっとだけ早い手つきで野菜を洗って、またピーラーで皮を剥く。私がジャガイモと戦っている間に男の子は包丁でニンジンの皮を剥いていて、リボンが一本生まれるみたいな皮剥きに思わず見惚れてしまった。
「ん? どうかしたかい?」
「……本当に料理上手なんだぁ」
「あはは、嘘言ったって仕方ないよ」
 それはお母さんよりこなれた手つきだったから、この子はどれだけ料理を作ってきたのだろう。もしかするとこの男の子は、私が思っているよりずっと年を取っていて、実は私よりも年上なのかもしれない。そんな馬鹿げたことを思ってしまうくらい、とても綺麗な動きだった。
「練習したら、私もそんな風に出来るかな」
「出来るさ、いっぱいごはん作ってるうちにね」
 なんだか憧れてしまってそう尋ねたら、男の子は笑いながらあっさりと頷く。その返事には不思議な説得力があったから、私はちょっとばかり乗せられるようなかたちで「じゃあいっぱいごはん作ろう」と決意した。

 そうして野菜を切って、お肉を炒めて、切った野菜にも火を通して(ニンジンはジャガイモより火が通りにくいから先にレンチンしておくのがいいらしい)。具材の入ったお鍋に水とカレールウ、あとは「これ入れると美味しくなるんさ」と男の子におすすめされたハーブの葉っぱを入れると、お鍋のなかがそれっぽい雰囲気。冷蔵庫にくっつけてあるキッチンタイマーをセットしたら、あとはタイマーが鳴るまでコンロに任せておけばいい。
 あとはカレーに欠かせないライスをいつ炊こう、そう考えたところで、あれっとおかしなことに気がついてしまう。「ねえ」「うん?」その事実にはどうやら男の子も気づいていなくて、それが余計におかしさを誘っていた。
「私たちが作ってたの、お夕飯だよね」
「うん、そうだよ」
「お昼ごはん、なんにも作ってないや」
 まだまだ夜まで時間はたっぷりあるのに、ごはんと言えばお夕飯って思いこんでしまって、食べるごはんの順番を間違えたみたいな準備の仕方。あんなに一生懸命お夕飯を作ったのに、お昼ごはんの準備はなにもしてないなんて! 我慢出来なくて吹きだすと、男の子もぽかんとしたあとに笑い始めた。
「あっははは、本当だ! ごめんごめん、すっかり間違えちゃって!」
「っふふ、なんでお昼のこと忘れてたんだろ。先にカレー食べちゃう?」
「だめだめ、あれはお夕飯! ふふ、そうだね、じゃあお昼ごはんはざるうどん! ほらほら、野菜切るよ!」
「あははっ、はぁい!」
 色んなことがあべこべになってしまったおかしさで、私たちはそのあともずうっと笑っていた。けれどそのお陰か、私はお母さんを見送ったあとのそわそわとした気分を、いつの間にかすっかり忘れてしまっていた。