真珠は海に、星は夜空に - 6/8

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 彼女のくちから、彼女の罪を聞いたことはない。ただ、ひとを殺したのだとだけ聞いた。リオセスリが「俺もだ」と言えば、セヴリーヌは驚いたように目を見開いてから、泣いているような顔で笑った。犯した罪が同じであるがゆえの親近感を和やかに抱くような滑稽な事態、ここを除いて生まれる場所などないだろう。その歪みがどうにもおかしくて、リオセスリも笑ってしまった。

 メロピデ要塞の管理者たるリオセスリは、そこに収監された者すべての事件記録を閲覧する権限を持っている。無論セヴリーヌの事件記録も例外ではなく、彼はその立場に就いてから間もなく、愛した女が監獄送りとなった経緯に触れていた。
 セヴリーヌが収監されたのは、リオセスリが罪を犯したときよりも更に数年ほど前のこと。罪状は殺人、被害者は三人、凶器は犬。被告が年端もいかない少女であることも相俟って、そのセンセーショナルな「歌劇」には当時観客が殺到したらしい。そして審判に至るまでも白熱し、スチームバード新聞社は連日のようにその事件を取材し続けたのだという。
 事件が起きたのは、ある日の昼下がり。フォンテーヌ廷の一階にある邸宅――被害者一家の自宅にて発生した。第一の被害者であり加害者セヴリーヌの親友でもあった少女が、飼い犬に噛み殺される事態が発生したのである。その光景に加害者が悲鳴をあげ、それを聞きつけて現場へ現れた被害者の両親も犬に喉元を食い千切られて死亡した。三人とも顔面下部の損傷が激しかったが、第一の被害者は殊に被害が大きく、顔全体から喉の下にかけてが獣に食い荒らされたような有様であったそうだ。
 件の犬は少女の背丈ほどもある大型犬であったが、温厚なうえによく躾けられており、間違っても人間を食い千切るような真似はしたことがなかったそうだ。ならば事件は何故起きたのか。幾つも生まれた違和と疑問に関しては、現場で涙を流しながら震えていたセヴリーヌが警察に保護されたのち告白した。
 被害者の飼い犬はよく躾けられており、芸も多く覚えていた。その事件が起こる一週間ほど前の日にも、新しい芸が披露されたらしい。それは合図によって相手の身体を押し倒し顔面を舐めるという友愛の儀式だったそうなのだが、セヴリーヌは親友からなんの説明を受けることもなく、呼びかけられた瞬間に芸のお披露目の対象となった。
 急に大型犬に飛び掛かられ、身体は巨躯に押さえつけられる。牙を剥きだしにしたまま、額から喉元にかけてまでを荒く興奮した息とともに舐められ、尖った犬歯が頬や耳のふちにひっかかる。セヴリーヌはそれに命の危機を覚えて身を竦ませ、自慢げに「どう? 可愛いでしょ」と笑う親友へ、涙ながらに恐怖を訴えたのだという。けれど親友はそれに取りあわず、小ばかにしたように笑う始末だったそうだ。
 日を改めてその芸の危険性を伝えたところで、彼女が取りあうことはなかった。だからセヴリーヌは、仕返しをすることに決めたのだという。きっと彼女は同じ目に遭ったことがないから笑っていられるのだ、同じようにあの芸を受ければ思い直してくれるはずだ、と。
 そうしてセヴリーヌと被害者、そして凶器となった飼い犬は街の外へ遊びに出かけたのち、別れ際にその芸をするようサインを出したのだという。件の犬はよく躾けられており、セヴリーヌのことも飼い主の親友として慕っていたから、セヴリーヌの命令もよく聞いたそうだ。
 だが、そこで事件が起きた。被害者の飼い犬は被害者を押し倒すと、少女の顔を舐めまわすのではなくそこに食らいついた。牙で柔らかな眼球を潰し、悲鳴のあがるくちに歯を引っかけた。大型犬の膂力で骨は噛み砕かれ、喉笛に犬歯を立てられた。鮮血が噴きだし、喉が潰されたことで悲鳴は潰える。だがそれを引き継ぐようにセヴリーヌが悲鳴をあげ、それを少女の両親が聞きつけた。そして事件は、一層凄惨なものとなる。

 事件の争点は、罪の所在となった。すなわち、裁かれるべき罪人はセヴリーヌなのか、犬なのか。
 当時の歌劇場ではセヴリーヌを擁護する声も多かったという。まだ幼い少女であれば、犬に行わせた芸が持つ危険性も想像することが出来なかった。その犬が凶暴性を見せたことはなかったのなら尚のこと想定することは難しいだろうし、そもそもセヴリーヌも同じ命の危険を受けているのだから最初の被害者は彼女であると。
 だが飼い犬は温厚な性格をしており、それまでひとを傷つけるような行為を見せたこともなかったそうだ。命令さえ受けなければ自発的に牙を剥くことがなかったのだから、人間の命令に従っただけの犬に罪を押しつける精神こそが罪悪である。批判の声もやがて広がった。そもそも他人の愛玩動物に手をだすことも罪なのではないかとさえ。事件は殺人のみならずペットに関する所有権の問題、また動物愛護の観点からも更なる論争を引き起こした。
 ――結果として、セヴリーヌは有罪となった。飼い犬が自発的に起こした行為ではなく、あくまで人間の命令によってその行動を起こしたのであれば、飼い犬は罪人ではなく凶器に該当する。また深刻な事態を引き起こす可能性を検討することが出来ていなかったとはいえ、セヴリーヌは被害者に対し加害意識を持って行動を起こしている。ならば、罪はそこにある。それが最高審判官と諭示裁定カーディナルの結論であり、彼女は海底監獄で長い刑期を過ごすことになった。

 当時の出来事は、まだ幼かったリオセスリの耳にすら届いていた。尤もそれは風の噂程度のものだったので彼は気に留めることもなかったのだが、とどのつまり、それほどまでに反響の大きい出来事であった。その事件を基に出版された小説も多く、当時は動物が凶器であるというミステリー小説が流行したらしい。
 血まみれの現場で震えて泣く女が誰なのか、彼女がいまどう生きているのかなど、人々の関心はもはやそこにはないだろう。だが特異性の高い事件を新聞社が再編し、当時の事件をエッセンスとした小説が出版され、親が子を育てる際の訓戒として引きあいに出される、その光景を見かけるたびにセヴリーヌは罪人としての意識を深めていたに違いない。そうして水の上へ戻ってからの数年間で、彼女の精神は姿なき人間の風刺によって踏みにじられ続けてきた。
 吐き気のする話だと顔を歪めながら、リオセスリは本をめくる。先日シグウィンから借り受けた学術誌には興味深い話が載っていた。
 ひとつはフォンテーヌで新しく精製された新薬に関する記事。精神へ影響を及ぼすその薬は生物の本能的な欲求を活性化させる効用が確認されており、向精神薬の発展に期待されているほか、ごく微量に用いれば精力剤などにも利用可能であるとのことだった。
 そしてもうひとつは、フォンテーヌの地質異常に関する報告。スメールの生論派の学者が各地の地質サンプルを収集している際、フォンテーヌの一部地域にて土壌汚染を確認したそうだ。恐らくは薬物の不法投棄によるもので、汚染された土から咲いた植物の花粉を吸引した者からは五感の神経過敏に加え、極度の興奮やそれによる過激行動などの精神異常が確認されているらしい。土壌汚染は深刻なもので、恐らく十年以上前から汚染は始まっていたと見られているとのこと。
 奇しくも、土壌汚染が確認された地域はフォンテーヌ廷からさほど離れていない草原帯が該当する。そしてそこは事件が起きた日、セヴリーヌたちが遊びに出かけていたという花畑のある場所だった。
(犬のほうが頭の位置が低いんだ、花粉の吸引率も高い。そして興奮状態にあった犬がひとに飛び掛かるよう命令されて、もしそこから肉の匂いを嗅ぎつけたら? もし被害者一家は昼食に鴨肉のコンフィを食べていて、加害者はオニオンスープとバゲットしか食べていなかったら)
 過去に遡ることが出来ないのだから、結局のところ真相は誰にもわからない。だが誰にも結びつけられることのないふたつの事象は、無視するには難しいほどよく噛みあう歯車たちだった。
 それでも違う場所で見つかった歯車を組み合わせる数奇者は水の上に存在しておらず、善良な子どもの恐怖に濡れた憤りは罪として罰せられた。そしてフォンテーヌという国がセンセーショナルな事件を愛する限り、喉笛を狙われた恐怖は罪悪としてセヴリーヌの首を絞め続ける。
 リオセスリにとって最も正しい存在が、水の上では罪悪の象徴として掲げられている。正邪は両立し得るものだ、そこに矛盾は存在していない。だがそれは、このうえなく彼を不愉快にさせる事実であった。