始業時間は午前九時半、終業時間は午後六時半。なにもかもが定まっていないサーバー改め本丸内でとりあえず就業時間の大枠だけを決めて、あとは疑問が挙がったタイミングで随時解決を図ることにする。国俊曰く、「そうでなきゃ主さん、雁字搦めになって決めてムキになっちまいそうだもんなー」とのこと。少々複雑な気分にさせられるが、彼は既にこちらの性格を汲み取っているようだった。
食事・入浴・就寝時間等に関しては各自で好きにしてもらい、嗜好品も触法せず他者へ迷惑をかけないのであれば規制も特には設けない。この辺りは本丸に顕現した刀剣男士が多くなるようであれば時間を定めて当番制にする必要があるとは思う、けど稼働開始してから一週間も経たないのだからあえて決めるべきことでもない。ちなみに食糧の自動補充に関しては、前日の午後三時までに申請のあったものを翌日補充分へ追加することとする。
さて、そんな弊本丸の朝は朝礼もといミーティングで開始する。当日の大まかな行動予定と目標を定め、各刃からの共有や要望があれば基本的には朝夕のミーティングで議題に挙げるのだが。
「もっと普通に飯が食いてえ!」
本丸稼働から五日目にして米騒動が起きようとしていた。
「……じゃあこれを」
「だぁから、それは普通の飯じゃねえって! 白米! たくあん! 味噌汁! 焼き魚! そういうやつだっつーの!」
綺麗な挙手からとめどなく溢れだした国俊の要望にブロック・ブレッドを差しだすのだが迷わず首を左右に振られ、その隣では三日月さんも深く頷いて国俊の肩を持っている。彼らは完全栄養食のいったいなにが気に食わないのか。私が眉をひそめると、まあまあと吉行に宥めすかされた。
「のう主、主の時代の食事は全部その完全栄養食がか?」
「いや、別に。パンとか和食とかパスタとかあったけど」
ただ「普通」という明確なようで基準の曖昧な定義を持ちだされたら、私は私の「普通」を返すしかないのである。もちろんパンを食べるひともいた、脂肪分を気にして栄養管理をするひともいた、ボーナスに焼き肉を食べるひともいた。ただ私はそこに自分のリソースを割こうと思わなかったからブロック・ブレッドを「普通」に選んだというだけ。
「オレが食いたいのはそういうのだよ!」
「……でもなぁ、国俊。自分ら、作って食べてますやん」
脳内で始まろうとしていた「普通」論争が現実に開戦することはなく、国俊の言い分が柔らかく曲げられる。やたらにはんなりとした声を出したのは、先日鍛刀プログラムで顕現された明石国行だった。
「そうそう、国俊は吉行たちとご飯食べてるでしょ」
ブロック・ブレッドを「手軽でええですやん」と食べていた国行の言葉を助け船に確認事項。「食材の種類が足りないってこと?」最低自給食糧に含まれていたタンパク質は肉類と大豆加工品だったから、魚が欲しいのだろうか。そう尋ねると、わかってねえなあ、とでも言いたげに顔を歪められた。
「そうじゃなくって。オレは主さんと一緒に、厨で普通に飯作って、食って、皿洗うまでがしたいんだよ」
そりゃあ確かにわかっていなかった。そんな手間のかかること、思いつくわけがない。
「ええ……」
「おお、顔は正直だな。腹芸は苦手と見た」
「余計なくち挟まないでください」
からかうような三日月さんの言葉はどう考えても脱線の引き金だから打ち止めて、見た目ほど小さな印象のない国俊を改めて見下ろす。「なんでそんなことを」見透かされているなら取り繕う必要もないだろう、面倒だという思いを隠しもせずに意図を問う。
「なあ主さん。オレがいた備中には、まつり寿司って食いもんがあるんだ」
そうしたら唐突な郷土料理のご案内。思わずあげかけた声は、くちの前の人差し指に堰き止められた。吉行である。
「名前の通り、祭りごとのときに食うもんでさ。それを作るときはいっつも屋敷のなかが大騒ぎ、獲ってきたばっかの魚と一番いい野菜を選び抜いて作るんだ。子どもはそれが楽しみで、酢飯の匂いがしてくると厨の前までわざわざ顔出してさ。そうやって楽しみにして、美味いもんを食って、祭りを楽しんで。片付けをしながら、次はいつ作るかって話でまた盛りあがる。オレはそれを見てんのが、すっげえ好きだった」
オレたちは人間のその営みを守ってんだって、そのとき、一番わかるからよ。
国俊はいつになく真面目な声でそう語る。真剣な声で語られたから、事実を再認識する。彼らのマザーデータは正しく付喪神であり、人間を超越した存在であるのだと。そしてたとえアバターに過ぎなくとも、それは目の前の国俊も同じことなのだと。
「あんたも、その人間なんだろ。ならオレは、あんたがそうやって飯食ってるとこ見てえよ」
神が人間を守護する理由と実感が欲しい、つまりはそういうことなのだろう。彼の要望を理解することは出来た、けれどそれ以上に押し寄せてきた感情の濁流に返そうとしていた言葉が消える。人間では、少なくとも私では想像も出来なかった感情が想像していた以上の熱量で寄せられたら、対応方法に困惑するのもごく当然のことだろう。
「んなこと言われたらやるしかないじゃん……」
「お。主はん、案外流されはるやん」
「こんなんだいたいの人間は流されるわ……」
結局押し負けて白旗を上げれば、国行がからかうように顔を覗き込んでくるからその肩を押し退ける。国俊を宥めこそしていたが彼の保護者を自称していたから、正直なところ悪い気はしていないのだろう。その打算的な姿が国俊とは裏腹に人間くさくて、得も言われぬ腹立ちがじんわり滲んだ。
「でも私、ほんっとにご飯作れないわよ。吉行には言ったけど、お米なんて十年は炊いてないし」
「はあ!? マジかよ、じゃあ十年あれしか食ってなかったのか!?」
「言ったでしょ、三食あれで人間の身体は健康を維持出来るのよ」
ただし方向性が決まったところで、問題はその手順。食器を洗う以外のなにも出来ない私ではまさしくお手上げ、両手を肩まであげながらブロック・ブレッドの完全性を解くのだが国俊はやっぱり渋い顔で首を左右に振った。この点においては、どうも彼とわかりあえないようである。
「えー……じゃあ陸奥守!」
「ほにほに、わしに任せちょけ! ……言うたち、わしも簡単なものしか作れんき、一番えいのは料理の教科書と食材を買うことじゃの」
そしてこの本丸で確立されつつある、困ったときの吉行頼み。彼自身は解を得ていなくとも合理的な解決方法を導きだすことが、どうやら吉行の得手であるらしい。成る程レシピとは、料理をしないせいで思いつきもしなかった。
「ふむ、それなら『万屋』へ行ってみてはどうだ?」
「それって、共用サーバーの物流センターでしたっけ」
「うっわ、こんな夢のない言い換えするひとおります?」
「るっさいわよ」
余計な合いの手を入れて話を脱線させにくる国行をひと睨みして、三日月さんの提案に首肯する――『万屋』とは各サーバーに与えられている資源交換用リソースを消費して物流センターに保管されているデータを各サーバーへインストールする、共有サーバーのことだ。ちなみにこの資源交換用リソースは各サーバーの業務成果に応じて毎月与えられるもので、いわば本丸の運営費にあたる。
ここには破損データの修正パッチはもちろんのこと、各プログラムを一時的に高速化させる消耗デバイスに始まり、果ては審神者や刀剣男士の嗜好品に至るまで、基本的なものはだいたいなんでも用意されている。最低支給品以外の食料だってもちろんあるし、レシピのデータも元の仕事で復元した覚えがあるから存在は認識している。つまり、『万屋』で必要なものを買えば次行程へ進むということだ。
「なら午前の哨戒任務のあと買い物行ってくる。吉行、悪いけどついてきて」
ひとりで買い物が出来たらよかったんだけど、あいにく私はレシピの存在すら思いつかなかった料理初心者だ。さすがにここは先達を連れ立つほうがいいだろうと追加の仕事を依頼すれば、彼はいつにない満面の笑みで「おう!」と頷いた。そんなに買い物に行きたかったのだろうか。