00:なるようにするだけ - 2/3

 しがない保守会社のオペレーターでしかなかった私が『審神者』になるよう通達されてから、約一ヶ月。私は確定申告等の処理をしたくない一心で会社の人事部にかけあい続け、自己都合退職をして『審神者』になるのではなく弊社とエンドユーザーである政府の間で出向契約を結んでもらった。エンジニア以外で出向契約をしたことはなかったせいだろう部長も私も人事部から相当の嫌味をいわれたが、半強制的な引き抜きをされているのだから嫌味を言いたいのはこっちのほうである。
 さすがに後輩ひとりだけに所属部門のオペレーターをさせるのはオーバーワークが過ぎるので他部署からの異動もかけあってもらい、私は出来る限り業務引継ぎをしながら『審神者』になるための訓練プログラムとやらを受ける日々。ただでさえ社畜を極めていたところへの過重労働、シンプルな感想としては過労死するかと思った。
 それでもなんとか、業務はすべて片付ける。後輩には本当に手に負えなくなったらエンドユーザーとオペレーター用の回線を使って連絡をしてくるように言い含め、訓練プログラムの座学も実践も真面目に取り組みまともな成績を叩きだした。

「それじゃあ藤咲さん、明日から新しい業務頑張ってください」
「お前のサーバーになにかあったら真っ先に直してやるから安心しろよ」
「先輩、システム更新あったときは内側からデバッグお願いしますね!」
 そして辞令を受け取ってから一ヶ月と一週間後、同僚や後輩の激励に背中を押されながら私はとうとう『審神者』として文科省へ出向することとなったのである。

「おお、待っていたぞ」
「……どうも」
 役所で諸々の手続きを終わらせたあとに案内されたのは、なんとも簡素な部屋だった。ここが私の勤務先になるのだろう空間にあるのは、火災発生時の引火を心配したくなるような本数のコードが繋がっているカプセルと、コードの接続されたスパコンこと高速演算機のみ。『審神者』に対しては最新型の演算機(新品)が無条件で提供されることは知っていたが、いざそれを目の当たりにすると、つい納税の理由を噛み締めてしまった。
 本当はちょっと触ってみたいのだが、部屋のなかで私を待っていた人物はにこにこ微笑みながらも私が部屋の中心にくるのを待っているから好奇心で動くのも難しい。まあどうせあとで接続されるわけだしと、いったんは諦めて足を進めた。
「改めて挨拶をしよう、俺は三日月宗近という。お前の案内人を務めさせてもらう」
「藤咲あとりです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼むぞ」
 古式ゆかしき和装の人物は人間ではない、私がこれから嫌というほど関わることになる付喪神こと『刀剣男士』の、いわば本物だ。彼は私がこれから顕現――プログラムを実行し生成するアバターではなく、そのマザーデータのひとつであった。
 付喪神のアバターを生成するには、そもそも現実の事物から人間性の顕現が可能であるかどうかを確認しなければならない。それを行うのもまた『審神者』の業務なのだが、これには本物の霊力だか神力だかが必要になる。当然ながらその神通力を持った『審神者』は、今後私が出向する『審神者』より更に貴重な人員であることもあり、私たちとはなにからなにまで異なっているらしい。ちなみにこれは訓練プログラムの座学講習で受けた内容である。
 たとえば私は文科省の配属になる。これは付喪神のアバターを生成する事物のほとんどが文科省の管理下にある文化財であり、その文化財のデータを抽出しプログラムとして処理するからだ。だが、いわゆる本物の『審神者』は内閣府――宮内庁の管轄となり、本物の付喪神の顕現や交渉を行うのが主な仕事となる。そして彼らが付喪神との交渉に成功すると文化財からデータ抽出が可能となり、私たち文科省配下の『審神者』が業務を実行可能となるのだとか。どうしても内輪もめの気配を感じざるを得なかった。
「お前はずいぶん成績優秀なようだな。これは僥倖、今後が楽しみだ」
「……それはどうも」
 たおやかで老成した美青年こと付喪神・三日月宗近はおっとり笑ってそう言ったので、いちおう頭を下げておく。それ以上も以下もなかったのでほかに喋ることもなかったのだが、私のそんな様子を見てか、彼は瞳を一層三日月のかたちに近付けた。
「さて、それでは早速『審神者』として最初の仕事に当たってもらおう。まずはこの場で一振り、『刀剣男士』を顕現してみせてくれ」
「はい」
 本物の付喪神はその見目と噛みあわない、最新型のウェアラブル端末を差しだした。腕時計のかたちを模したそれを腕に嵌めて中空に手をかざせば、小型端末が処理画面を目の前に投影してくれる。それは、訓練プログラムの実践講習でシミュレートしたのとまったく同じ画面だった。
 顕現、と呼ぶには単純な、規定のプログラムを自分で走らせるだけの平易な行為。数多存在する付喪神のなかでも生成・制御に必要なリソースが高くはなく、それでいて一定の戦闘能力を有し、更には新人のサポートをすることも可能であろう人間に対する社交性があると判断された四柱の付喪神のうち一柱のアバターの生成。私はその四種のプログラムの中身を、無駄かつ無為に眺めていた。
「なんだ、選ばないのか?」
「あー……いえ、決めかねてまして」
 歴史に造詣が深いわけでもなければ、芸術品に対する審美眼が備わっているわけでもない。選択基準がなにもないので、誤解を恐れず表現すると、正直なところ四柱のうち誰でもよかったのだ。プログラム・コードの出来栄えで選べるほどコードのなかに美を見出してもいなかったし。どうしたものかと悩む間も、付喪神はにこにこと微笑んで私の選択を待つばかり。その穏やかさが、妙に据わりを悪くさせていた。
「……じゃあ、これで」
 居心地の悪さに耐えかねて適当に選択、確認画面もさっさと飛ばしてプログラム実行。ここまでお膳立てをされているのであれば『審神者』なんて誰にでも務まるのではないか、と思わされてしまうから、このプログラムを作ったひとは心底尊敬に値する。
 演算処理が開始されると、瞬く間に眼前へ青年の輪郭が形成されてゆく。足先から脛、順に浮かびあがる姿がホログラム状なのはあくまでそれがアバターでありこの現実に坐する付喪神そのものではないからなのだろう。
「――わしは陸奥守吉行じゃ。おんしがわしが主じゃな、よろしく頼むぜよ!」
 それでも聞こえる声はクリア、形成された直後にぱっと向けられた笑顔まで。
「……はじめ、まして。藤咲あとりです。よろしくお願いします、ええっと……陸奥守、さん?」
 なんて鮮明な存在なのだろう、と。驚いてしまいながら頭を下げると、彼は「ああ、いかんいかん」すっと腰を低くして私の顔を下から覗き込んできた。
「長い付き合いになるき、そういう堅苦しいんは無しじゃ! わしのことは気軽に呼んどおせ」
 気さくで奔放、口調も相俟ってやや砕けた印象。彼はたおやかで老熟された印象の三日月宗近とはほぼ真逆の、およそ神様然としていない存在だった。付喪神と人間、プログラムとその制作者、異なる観点の関係が交錯した相手をしばらく見下ろしていると彼は「な?」わかりやすく人好きのする笑顔を明るく浮かべてみせる。
「……じゃあ、吉行」
「おう!」
 押しきられた、というかその空気に呑まれてしまって頷けば、彼は一層明るく笑って曲げていた背を伸ばす。ずいぶんと上背のある男性は満足そうな表情で、本物の付喪神とも笑いあっていた。
「うむ、無事に顕現も出来てなにより。では次に、お前の本丸へ向かうとしよう。まずは名前を決めねばな」
 三日月宗近は案内人らしく指示を出し、私も彼の言葉に頷く。個々の『審神者』に宛がわれている仮想現実を「本丸」と呼ぶのは、刀剣男士にとって馴染みやすい名称であることを優先された結果らしい。そこに個別の名称を付与するのは識別コードのためではなく、それぞれの仮想現実が既に所有する固有アドレスへのアクセス時にパスワードのひとつとして用いるためだ。ちなみにこれは講習プログラムで習った内容ではない、私の本業務上で得た知見である。
「名前、ねぇ。じゃあこれで」
「いやいやいやちょい待ちね」
 どうせ用途はパスワードなのだから、名前のイニシャルと一見ランダムいちおう規則性のある数字の組み合わせを並べたところで、その手が横から止められる。「なに?」なにか禁則文字列が混ざっていただろうかと目で問えば、そうじゃないと首を振られた。
「主、おんしがいまから決めるがは本丸の名前ぜよ」
「あー、まぁ。でも別に、ねぇ?」
「わしぁもっとかっこえい名前がえいがよ」
 なんじゃそのようわからん名前は、と眉をひそめられてしまったから、付喪神のアバターが受け入れるにはあまりにもパスワードらしすぎたらしい。だからといって、ここで他の名前を思いつけるほど文学的なセンスを持ってもいない。「そんなこと言われてもなぁ」四つのプログラム・コードを選ぶときよりも時間がかかっているのは、今回の解が選択制ではないからだ。いっそ今日の日付にでもしてしまいたいと数字を打ち込もうとしたら、入力画面自体を奪われてしまった。
「やき、それはあかんち言いゆうろうが! ほいたらわしがつけるき、えいね?」
「えっ、あっ、はい、どうぞ」
 軽い調子ながらどこか幼く怒られ、呆気に取られたまま画面を進呈。彼は少し考え込んだが私よりよっぽど早く名前を決められるようで、にんまりとくちを緩ませながらパスワード改めて本丸名を決定させたようだった。
「ほい、返すねゃ」
「どうも。……あっちょっと、名前確認出来ないんだけど」
「そりゃあ本丸行ったらわかるがよ」
 返された画面上には名称も浮かんでおらず、幼稚な意趣返しに「そりゃそうだけど」溜息を吐く。どうにも付喪神らしくないその振舞いは、いいものなのかどうなのか。判別するには材料も基準もない私がただ疑問だけを募らせていると、視界と思考に映り込む柔和な微笑。さあて、とかけられた穏やかな声が不思議と意識を奪うのは、もしかするとその人物がまさしく神であるからなのかもしれなかった。
「準備も出来たようだな、あとは本丸へ向かってからだ」
 言葉とともに示されたのはコールドスリープ用のカプセルだ。私はそこに入ると、データ同期のために必要な小型機械を幾らか装着する。最後にイヤーカフ状の端末をつけてカプセル内に寝転ぶと、そのふちにホログラムの指が乗った。
「ほいたら主、次は本丸での!」
 ぱっと向けられた笑顔は相変わらず明るく鮮明。ホログラムでありながらやたらに解像度の高い姿に頷くと蓋が自動で閉じたから、私も目を閉じてコールドスリープの準備をする。
 現実ではホログラム状になっていた彼も、仮想現実上では正しい色と質感を得ているはずだ。つまり彼は、どれほど鮮烈になるのだろうか。そんな詮無い疑問が、肉体に浮かんだ最後の思考。