落翼 - 2/2

「公爵」
「ああ、看護師長。悪かったな、こんな時間に」
「ううん、それはかまわないのよ。彼女のことは、しばらく安静にしておかなくちゃいけないけど」
 深夜の面会を終えたリオセスリが一服していれば、急患の治療を終えたシグウィンが分厚い扉を足ひらいて執務室へと現れる。軽快な足音とともに執務机の前まで足を進めたメリュジーヌは、労いの一杯を用意しようとしたリオセスリを柔らかく止めた。ウチももう眠るから大丈夫よ、と。柔らかく甘い声が、普段に比べて幾分かささくれ立ったリオセスリの神経を和らげる。
「公爵にしては手荒な対応だったわね。彼女、よっぽどのおいたをしてしまったの?」
「ああ、まぁな」
 シグウィンの指摘は尤もなもので、リオセスリは言葉尻をぼかして頷く。剥けられた牙を折るのは正当防衛だ、だが肩を外し骨を折るほどではなかった。抑えているつもりでいたが、感情が滲んでいたことに気付かされる。
 血の繋がらない妹が罪人として収監されたことは、リオセスリも管理者として当然ながら把握していた。憎悪の瞳は隠されることがなかったから、彼女が手を汚した理由を察するのも難しくなかった。
 強欲な人間に食い潰された、哀れな生き物。所詮は道具扱いされていたというのにも関わらず、芝居を現実と誤認する愚かな存在。事実を知ってなお彼らへの愛着を捨てきれず、だからこそ呑みこむことが出来ない感情のすべてを薪として、リオセスリへ憎悪を向けるしかなかったのだろう。
「彼女は公爵の、特別なひとなのかしら」
「……いいや。変わらないさ、他のみんなと」
 愚かで哀れな存在だ。リオセスリを本気で殺したいと望みながらも、そのために彼女が取った手段は呆れ果てるほどの正攻法。要塞へ収監されるために賊徒としての罪をあえて警備隊へ見せびらかし、リオセスリとの密会のために特別許可券を真っ当に貯蓄する。その愚直さがなければ、彼女ももう少し生きやすかっただろう。だが彼女は愚かしいほどに真っ当で、だからこそリオセスリを怨まずにはいられなかったのだ。
「そうかしら」
「ああ。とりあえず、そういうことにしておいてくれ」
「ふふっ、公爵がそう言うなら仕方ないわね」
 そこにどんな理由があったとしても、与えられた愛が喜ばしいものだった。それなら愛を与えた相手は同じほど愛するものだと、彼女はそれを真理としている。
 愚かで哀れな存在だ、どうしようもなく。冷めた紅茶を飲むくちびるで薄く笑って、自嘲する。そう彼女を哀れむ程度には、リオセスリも感傷を捨てきれていなかった。