ブルー・バード - 2/2

 モンドへ戻ったふたりは抱える布袋もそのままに、住宅街を突き進む。モナの借家も脇目に通って更に奥、広がる家屋は壁に這う蔦までもが整えられて美しい。「ここは……」モンドのなかでも貴族たちの住む区画には、ほとんど足を踏み入れたことがなかった。秘境よりも慣れない空気に目を瞬かせていると、ベネットがこころなしか抑えた声とともに「こっちだ、こっち」と旅人の手を引いた。
 幾らか慣れた足取りに従って貴族向けの住宅街を進んだ先、一際大きな屋敷は爵位の高さがよく滲む。私兵の門番すらいる屋敷の壁をぐるりと回った先、蔦のかかる裏門にベネットはそっと手をかけた。
「いいの?」
「……ああ。鍵がかかってないから、大丈夫ってことだ」
 どうやら鍵の開錠を確認したらしいベネットは密やかな声とともに小さく笑うと、出来るだけ音を立てないよう扉を開いてその身をなかへと滑り込ませる。旅人もそれに続けば、手入れの施された樹々と低木の合間を抜ける。そうして辿り着いた先、柔らかく繊細なレースのカーテンがかかった一階の窓にベネットが触れた。
 こつこつ、まるで扉にするようなノック、ノック。それが三回続けば、数秒の沈黙ののちにカーテンがぱっと開かれる。次いで窓もぐんと開かれて、室内に風が舞い込んだ。
「ベネット!」
 ふわりと広がる風に舞いあがる髪先も気にすることなく、内側にいた少女が煌めくひかりのように笑顔を浮かべる。それは間違いなく彼を歓迎していたから、そのあたたかさにベネットだけでなく旅人も瞳をたわませた。
「久しぶりだな、メーヴェ!」
「ええ、お久しぶりベネット! 会いたかったわ、聞いて。わたし、たくさん歴史のお勉強したのよ。ベネットが見つけた宝の地図を、一緒に読めるように」
 可憐な少女は頬を桃色に染めあげながら早口にそう語り、はっとくちもとに手を当てては「ごめんなさい、はしたなかったわ」と眉を下げる。その振舞いは貴族の娘としての礼儀作法と、少女自身の無垢の狭間にあって、なんとも微笑ましかった。
「いいよ、そんなこと気にするなって。それより、オレなんかのために勉強してくれたんだろ? ありがとな、メーヴェ」
「っ、うん!」
 少女の天真爛漫さが伝染したように、ベネットの瞳にも透明なひかりが満ちる。まるでここだけ、春の喜びが満ちあふれたかのように。くすっと笑みをこぼしたところで、ベネットの瞳が旅人へ向けられる。それに緩みかけていた顔を少しだけ引き締めると、少女も上気した頬を恥ずかしがるように白い指でぱっと押さえていた。
「今日はオレの友だちを紹介しにきたんだ。こいつが前にも話した旅人だ、今日も一緒に冒険してきたんだぜ!」
「初めまして」
 目線と同じほどに位置する窓に向かって利き手を差しだせば、少女は風で散った髪を手櫛で整えてからその表情を引き締める。整えられたその表情は、技師の情愛を感じるほど精巧な人形のよう。成る程確かに、彼女はこの大きな屋敷のご令嬢であるらしかった。
「初めまして、旅人さん。メーヴェと申しますわ」
「うん。これからよろしく、メーヴェ」
 スカートの先を摘まんで一礼をしたのち、差しだされた旅人の手をそっと両手で握り締める。けれど貴族然とした振舞いはそこで終わり、メーヴェはその表情を少しだけ崩すと視線をちらりとベネットへ送った。
「……ねぇ、ベネット。旅人さんとは……」
「ああ、オレと同じように話していいと思うぜ。な、旅人!」
「うん。俺もメーヴェと友だちになりたいな」
 勝手口からそっと窓越しに喋る間柄なのだ、望むのは秘密で本心の友だちに決まっている。旅人が小さく笑いながらベネットの言葉に頷くと、メーヴェはほうっと安心したように息を吐いて「よかったぁ」と甘やかな声を漏らした。
「ねぇベネット、それに旅人さん。今日はどんな冒険をしてきたの?」
「そうだ、聞いてくれよ! 今日はオレにとっても最大で最高の冒険だったんだ!」
 そしてベネットは旅人とともに、先ほどまでの冒険譚を少女に語り聞かせ始める。
 かつてフォンテーヌを騒がせた大盗賊は国を逃げてモンドまで辿り着いたが、そのときには身体もぼろぼろで命も残り幾許といったところだったらしい。それでも自らの生涯を賭けて手に入れた財宝を他の誰かの手にわたしたくはない、だから彼は秘境の最奥にまでその財宝を持ち込んだ。魔物に襲われ、血の滴る身体で、それでも彼は自らの宝を抱え込むようにしてその一生を終えたのだという。
 けれど名を馳せた大盗賊の足並みとは否応なしに追われるもので、過去に彼の仲間であった盗賊などはその秘境を探り当てては地図を残した。やがて自らがその財宝を回収出来るように、と。しかしそれが叶うことはなく件の盗賊は自国で捕まり法に則り処刑され、宝の地図だけがひらりひらりと後世へ流れていった。
 ベネットが冒険者協会で手に入れたのが、その宝の地図だった。そこへ偶然出会った旅人とともに向かい、幾多もの仕掛けや謎を解き、ときには罠に引っかかってふたりで水責めにあったりしながらも、魔物を振り払いつつなんとか最奥へ辿り着いた。
「――そこで、なんと、これを手に入れたんだ!」
「まぁ……!!」
 そうしてベネットは大冒険の最後に得た布袋を掲げてみせる。モンドへ帰る途中で何故かベネットの袋にだけ穴が開いてしまったから慌てて落とした宝を回収したり、その間に布袋の穴を縫ったりと紆余曲折はあったものの、ベネットの宝は失われないまま。錆びてひかりを損なうことのない金貨の山を、メーヴェも頬を紅潮させて覗き込んだ。
「すごいわ、冒険のあとにはこんな出会いもあるのね……!」
 ぱちぱちと手を叩いたメーヴェは、ベネットの成果を我がことのように喜んで「しかもすごいわ、そんなに大変だったのにふたりとも無事に帰ってきたなんて」と大はしゃぎ。純真な心根を感じずにはいられない姿に旅人もつい顔をほころばせていると、彼女ははっと瞳を瞬かせてその身を翻した。
 急に室内へ舞い戻った少女の背中を見送りながらふたりで首をひねりあっていると、メーヴェはやがてぱたぱたと可愛らしい足音を立てながら窓際へと戻ってくる。その両手には年季が入っていながらもきちんと管理されていたのだろう傷んだ様子の少ない本が握られていて、彼女は窓枠へ引っかけるようにして本の頁をめくっていく。
「ねぇほら、見て! ベネットが見せてくれた袋のなかにあったもの、これと同じ模様があったわ!」
 一昨日勉強したところなの、とはしゃいだ少女の言葉通り、彼女がめくってみせた紙片には布袋のなかにある銀貨と同じ模様が描かれている。どうやらそれはフォンテーヌ貴族の家紋らしく、金貨――この世界に流通しているモラとは違い、その銀貨は貨幣としては機能していないようだった。
「なんでも、当時この貴族の栄誉を称えるために作られたんですって。その御方に絶えなく公平で誠実な幸福が訪れますように、祝福と祈りも込めて」
 それ以来その記念硬貨は幸運のお守りとして流行したが、鋳造数が少ないため稀少価値が高く、いまでもそれを求めるコレクターは多いのだという。銀貨の思わぬ価値に旅人はベネットと顔を見あわせて、今日何度目かもわからぬ驚嘆を噛み締めあった。
「ふたりとも、すごいわ。あなたたちに、幸運の神様がついてくださったのね!」
 メーヴェは両手の指を交錯させて華やかにはしゃぎ、ふたりの幸福を祝福する。旅人も自分の布袋を開けて金銀財宝をがさがさとまさぐれば、ひとつ、ふたつだけだが同じものが。「俺にもあったみたいだ」幸運を掲げて笑うと、メーヴェがまた喜んだ。
「……幸運が、オレに」
 ベネットはその銀貨を握り締めると、僅かに俯いてその表情をぎゅうと変える。「ベネット?」その顔が見えなくなってしまったからメーヴェは首をかしげてしまったが、大丈夫だよ、と旅人が笑って答えた。
 だって、確かに、見せられないだろう。自らを疫病神と苦笑するベネットの下へ舞い降りた幸運に震える喉仏なんて。
「……メーヴェ。それならこれ、受け取ってくれないか?」
 やがてベネットは瞳の水分をぐっと堪え、数少ない銀貨の一枚を彼女に差しだす。メーヴェの開いた頁に描かれた家紋とまったく同じ紋様の硬貨がそこに並び、彼女は慌てたように手を振った。
「そんな、もらえないわ。それはベネットの冒険の成果だもの」
「でもオレは、これがそんなにすごいものだなんて知らなかった。このコインの価値を知ることが出来たのは、メーヴェが勉強したことを教えてくれたからだ」
 ならこれは、メーヴェに受け取ってほしい。そう告げるベネットの瞳に、メーヴェがそっと息を呑む。そこにあったのは、彼女を尊ぶ祝福と祈りに他ならない。旅人は、少女とは逆に詰めていた息をそっと吐いた。この銀貨の正しい歴史はなにも知らない。けれどかつて讃えられた栄誉も、このような真摯な思いによってコインのかたちを成したのかもしれない。そう思うと、堪らない思いだった。
「……うん。ありがとう、ベネット。あなたの大冒険の名声、ひとつだけ頂きます」
 そして少女は、祝福を尊び受け取った。かつての栄誉に対する称讃がいまに引き継がれているのと、同じように。薄汚れの浮かぶ銀貨を宝石みたいに受け取って、それを大事そうに胸元まで引き寄せて抱き締める。その姿にベネットが眇めた瞳はどこまでも柔らかく、眦から春がこぼれだしているようだった。
「それじゃあせめてお礼を……あっ、そうだわ。あのね、昨日メイド長と一緒にスコーンを作ったの! いまから持ってくるから、三人でお茶にしましょう」
「えっ、それ大丈夫なの?」
「メイド長は内緒にしてくれるから大丈夫!」
 メーヴェは繊細なレースのハンカチを勉強机に広げるとそこに銀貨をそっと乗せ、ぱたぱたと足音を立てながら部屋を出ていってしまう。旅人の言葉に明るく頷いた声は風に乗って余韻を広げ、広がる景色の色鮮やかさを僅かに深めていく。旅人がきょとんとしたのちにベネットへ目を向けると、彼ははにかみながらも誇らしげに胸を張った。
「オレの大事な友だちなんだ。よかったら、これからも仲良くしてやってくれよな」
 その言葉があまりに無邪気に煌めいていたから、旅人のくちびるからもつられて笑みがほろりとひとつ。そうするよと頷きながら、彼は窓枠から見える景色に瞳を眇めた。あと十分もすれば、三人分のティーセットを一生懸命持ち込んだ少女が秘密のお茶会に招いてくれるに違いない。


First appearance .. 2023/07/02@yumedrop