錦織の傘を差す - 3/3

 鈍い音とともに巨大な機構が崩れ落ち、静寂を取り戻した大地がずうんと揺れる。鈴鳴を探すべく軽策荘付近の遺跡を巡ろうとしていた空たちはさなかの平原で遺跡ハンターと会敵し、攻撃性の高い戦闘機構の鎮圧を余儀なくされていた。
「ふう、吃驚したぜ。まさかこんなところに遺跡ハンターがいるなんて」
 完全に稼働を停止した機械から剥がれ落ちた部品の一部を空が回収していると、中空に姿を現したパイモンが恐る恐るその残骸を覗き込む。「確かに」空もパイモンの素朴な感想に頷いて、巨大なスクラップを見下ろした。
 遺跡ハンターとはその名の通り、遺跡の周囲を索敵している存在だ。平原の只中を商人のように進んでいる様など滅多に見たことがなかったから、空は改めて遺跡ハンターの傍へ膝をつく。不自然な動きの理由を探すように戦闘機構の残骸を探っていた空は、やがてパーツの隙間になにかが引っかかっていることに気が付いた。
「これは……」
「木簡か? 半分に割れちゃってるみたいだ」
 古く苔と錆のこびりついた機械には不似合いな、真新しい木片。空の手元に顔を寄せたパイモンの言葉通り割れた形跡のある木片の中央には中途半端な様子の模様が描かれていたから、対となる存在があるのだろう。ううんとふたり揃って首を捻っていれば「どうしたんだい、ふたりとも」軽やかな声が鼓膜に届く。遺跡ハンターと戦ったのち、周囲の様子を探索していた行秋が戻ってきたようだった。
「さっき倒したやつに、これが引っかかってたんだ」
 空が手にした木片を行秋へ見せれば、彼の瞳が怜悧さを伴って眇められる。「行秋、これがなにか知ってるのか?」その表情に悟ったのだろうパイモンへ、彼は小さく頷いた。
「桃の割符だ。恐らく、彼女のいる場所はここからそう離れていない」
「じゃあ、これは鈴鳴さんのものってこと?」
 差し出した木片を行秋の白い指がつまみあげ、描かれた模様を検分するかのように真剣な表情が向けられる。やがて彼は木製の欠片を空に返すと、彼の問いかけに対してもう一度頷くことで答えた。
「かの小間物屋の本職は、君も知っているだろう?」
「確か……お守り屋、だっけ」
「ああ。更に詳細に言うならば、彼女が売っているのは結界だ」
 行秋の言葉に、空は思わず目を丸くさせる。結界を売る、などと。やたらに大仰な響きは、小路の店先から空に対して軽やかに手を振る店主の姿と、まるで結びつかないのだ。それこそ彼女が神の目を所有していたなら道術や方術のひとつやふたつくらい使えたっておかしくもないのだが、鈴鳴は神とその目をあわせていないはず。疑問をそのまま瞳に乗せれば、行秋は僅かに肩を竦めてみせた。
「神の目を持たなくとも、必要な要素と手順を満たせば契約は行使することが出来る、だそうだよ。そして結界の起点と終点を結ぶ楔がお守りという形を取って、結界を依頼した者に渡されるんだ」
 行秋もかつて空と同じ疑問を抱き、そして彼女からその言葉を返されたのだろう。それにしたって彼がこれほどまでに詳しいのは、飛雲商会が過去に彼女へ結界を注文でもしていたのか。浮かんだ疑問は水泡のように弾けて沈黙する。残念ながら、いまはその疑問へ言及しているときではない。
「その割符は最も初歩的な結界の楔だ。桃符は魔除けに用いられ、割符は対の存在を証明する。つまり、この割符を持った者しか入れない結界を張ったんだ」
「……ん? ちょっと待てよ、それが魔物の身体にくっついてたってことは……鈴鳴さん、本当に大丈夫なのか!?」
「大丈夫さ。さっきも言った通り、桃符は魔除けだ。彼女がこれの半分を持っている限り、魔物に襲われはしないだろう」
 魔物が平原を闊歩していたのも、恐らくこれが原因だ。行秋は軽やかに微笑みながら焦るパイモンを宥めすかし、空はその隣で小さく頷く。つまり会敵した遺跡ハンターは魔除けの符から離れようとしたがパーツの隙間に入り込んだ木片からは逃げることも出来ず、平原にまで放浪する破目になったのだろう。
 だが、ここでその手がかりを見つけられたのは僥倖だった。「なら、早く鈴鳴さんを探そうぜ!」パイモンの言葉に空と行秋は頷きあい、結界の痕跡を探して歩き始める。元素の痕跡が付着していないため肉眼しか頼るものがなかったけれど、行秋にはなにか見えているものがあるのだろうか、彼の足取りは揺るがない。
 そうして平原を進んでしばらく、岩壁に這うようなかたちで根を大地にまで張りだしながら伸びた大樹の傍。足を止めた行秋は「ほらね」どこか得意げに笑ってみせた。
「あっ、さっきの割符だ!」
 樹の洞には割符が半分ほど姿を隠すように差し込まれており、パイモンが空中でぴょんと足を躍らせる。それならばつまり、彼女はここにいるのだろうか。空が岩壁と大樹の間に生まれた窪みを覗き込めば、ほっそりとした女性の白い脚が木陰に浮かびあがった。
「鈴鳴さん!」
「鈴鳴さんっ、倒れてるじゃないか! おーい、しっかりしろ!!」
 柔らかな草地のうえへ伏せている女性の傍で慌てて膝をつき、顔色と呼吸を確認する。呼吸は幸いにして正常だ、顔色も心身の別状が滲むほど不自然なものではない。まずはそれに安堵しながらも細い肩を揺さぶれば、彼女は小さく唸ったのちにゆっくりと瞼を押しあげた。
「ん……? ……あれ、なんで……空、くん……」
「鈴鳴さんが行方不明になってるって聞いて、探しにきたんだ! 大丈夫か、危ない目に遭ったりしてないか!?」
 鈴鳴は呆けたように瞼を何度か瞬かせて草地で首をかしげていたが、空が身体を支えれば身を寄せながら上半身をきっちりと起こす。大きく怪我をした様子もなかったから、二度目の安堵に息吐いた。
「んー……ああ、そっか、そっか、そうだった。遺跡を見て回って、帰ろうとしたとこで思いっきり足を捻って、動けなくなっちゃって。しばらく固定して安静にするしかないと思って、ここで野宿してたの。やだ、そんなに寝ちゃってた?」
 けれど彼女ときたら、あっけらかんとこの様子。確かによくよく見下ろせば、左足首には添え木と包帯が巻かれてはいたけれども。空は思わずその場で脱力し、パイモンはへにゃへにゃと高度を落としてしまった。
「お店のひとたち、すっごく心配してたんだぞ! オイラたちも!」
「ごめん、ごめん! 帰ったらお礼とお詫びするから怒らないで、パイモンちゃん!」
 よもや行方不明の理由が野宿での寝坊だなどと、誰が想像するだろう。ぷりぷりと怒るパイモンの前で両手をあわせて頭を下げた鈴鳴に当然ながら悪気はないようだから、これ以上は怒ることも出来ないが。「無事で本当によかったです」苦笑しながらそう言えば、ご心配おかけしました、と深く頭を下げられた。
「じゃあ早速、帰りましょう。悪いんだけど、ちょっと手を貸してくれる?」
 上半身ごと下げた頭を持ちあげた鈴鳴に先んじて空が立ちあがろうとしたところで、彼女の目前に白魚のような手指が差し出される。剣だこが浮かびながらも生成りの絹めいた品の滲む手は、長く黙して空たちの様子を窺っていた行秋のものだ。
「っ、行秋!? なんで!?」
 そしてどうやら、鈴鳴は彼の姿にまったく気付いていなかったらしい。ぎょっとして逸らされた上半身が草地に戻ってしまいそうだったから、空はこっそり彼女の背中側へ手を回して支える準備をした。
「なんで、じゃないよ。何日も店を空けてたから、心配で探しにきたんじゃないか」
 行秋は情感豊かな驚嘆を向けられてなお淡々としており、その表情には怒りに満たない呆れが沸々と滲んでいる。「僕、確か前にも言ったと思うんだけど」少年の声に女性がきゅっと肩をすぼめる光景は、なんだか少し不思議なものだった。
「神の目を持ってるわけでもなければ、武術を修めているわけでもないんだ。史跡巡りを止めはしないけど、必ず誰か伴だって行くように、って。今回だって連れがいたら、こんなところで野宿して、挙句の果てに行方不明者として探されることはなかったんだよ。わかってる?」
「うう、わかってる、わかってます! でもお客様の前でお説教はどうかと思います!」
「彼は僕の友人だから気にしなくていい。そうだろう?」
「ここで俺を巻き込むのはどうかと思う」
 行秋は珍しく、いつになく歯に物着せぬ正論で以て鈴鳴の耳を痛めつけている。彼の幼馴染である重雲に対する気安さに近い、けれど更に距離の潰えた無遠慮さ。空を自分の隣へ立たせようとする抜け目のなさをばっさりと切り捨てながら観察するようにふたりを眺めれば、行秋は仕方ないといわんばかりに肩を竦めてから鈴鳴へ差し出していた右手を僅かに揺らした。
「次からは必ず誰かを連れていくように。いいね、姉上」
「もー、わかったってば」
 そして鈴鳴はその手を取り、行秋にもたれかかるようにしながら立ちあがる。一かけらの不自然さもなく身体が寄せられ、鈴鳴の手のひらは当たり前に行秋の指を握り締めた。
「……あ、ねうえ?」
 けれどつるりと出てきた言葉に、パイモン大きな瞳と一緒に空も自らの眼を丸くさせる。空とパイモンは行秋と鈴鳴のそれぞれと親交があったけれど、こればっかりは想定すらしていなかった。
「そう、彼女は僕の姉だよ」
「あはは、いつも弟がお世話になってます」
 行秋は悪戯ごとが成功した子どもみたいな顔で、鈴鳴は眉を下げながら、それぞれ笑う。けれど成る程、行秋が彼女のお守りに関して詳しいのも道理であったし、わざわざ鈴鳴を探しに軽策荘まで足を延ばすわけである。
「はえー、全然気付かなかったぜ。あっ、じゃあ鈴鳴のことを飛雲商会に知られたくなかったのって……」
「行秋、こうして探しにきちゃうんだもの。それに万が一にでもお父様の耳に入ったら、いったいどこまで大事になるか」
 行秋の反対側からパイモンが鈴鳴を覗き込めば、彼女は弟に左半身を預けながら頭が痛いとばかりに首を振る。「疾うに独立した娘相手に、ちょっと過保護なのよねぇ」鈴鳴の言葉には、空も微笑ましさにくちびるをほころばせた。
「それならまだよかったじゃないか、僕が探しにきただけで済んでるんだから」
「一番得をしてる立場で、よく言うわ」
 しかし得意げな行秋の声に溜息をこぼしている姿を見て、おや、と瞳を瞬かせた。「確かに、姉上のお陰で不測の事態への対処は得意になったかもね」「はいはい、そうね」行秋は彼の立場を知るものに対して常に、色鮮やかな錦織の傘の如き振舞いを貫き通している。彼の根幹に深く根差す義侠心と好奇心を知るものは決して多くないのだということに空が気付いたのは、実のところ最近のことだ。
「空くんもパイモンちゃんも、探しにきてくれてありがとう」
「ううん。俺たちは、お店に鈴鳴さんがいないほうが落ち着かなくて嫌だから」
「あら嬉しい、そう言ってくれると店番のし甲斐もあるってものね」
 鈴鳴を心配して単身で軽策荘まで訪れた行秋の行動は、間違いなく親愛に因るものだろう。けれどそこに好奇心は一匙ぶんもなかったかと問われれば、行秋はきっと、上品な笑みを答えとするに違いない。
「行秋とも、これからも仲良くしてあげてくれたら嬉しいわ」
 優秀な飛雲商会の次男坊に半身を預けて密やかに微笑む女性はしかし、雨傘にも日傘にもならぬ錦織の傘の使い方を知っているようではないか。華やかな隠れ蓑をあえて目立つよう壁に掛けるような声へ、空は柔らかく微笑んだ。
「……はい」
 番傘を差すように迷子の鈴鳴を行秋が探しにゆくのも、行秋のために鈴鳴が大輪の飾り傘を広げるのも、彼らが姉弟なればこそ。傘の内側は、冷たく痛いものに濡れることを知らずに守られている。


First appearance .. 2022/07/10@Privatter, another name