ひとに満ちた璃月港は、いつだって活気に溢れている。それが燦々と陽光の降り注ぐ昼下がりであれば尚のこと、そこかしこで商人と客のささやかな賑わいが生まれていた。
さてそんな璃月港の小路を通りかかった旅人は、ふとその先の喧噪に気が付いた。開かれている店の表で広がる賑わいはこの街の日常茶飯事であったが、その喧噪はどうにも声の華やぎが欠けている。彼は思わず相棒と顔を見あわせ、一歩ぶんだけ店先に近付いた。
「どうしよう、千岩軍に捜索願を出すしか……」
「だが、いまの千岩軍ではそこまで手が回らないだろう。果たしていつ動いてもらえるか……」
「それなら冒険者協会に相談するのは?」
「あそこがやれるのは猫探し程度だろ、当てになるのか?」
積み重なる小声の山を覗き見るに、どうやら目的はひと探し。どうする? 聞こえちゃったのに知らない振りはなあ。パイモンとそんな目配せをしたのち、店先へ更に歩を進める。あのう、と声をかければ、小難しい顔を突き合わせていたおとなたちが揃って旅人を見下ろした。
「君は……旅人さんじゃないか! いらっしゃい、なにか探し物かい?」
「いや、通りかかっただけ」
空もいまや璃月で知らぬ者のいない有名人となってしまい、面映ゆい心持ちで僅かばかり肩をすぼめる。モンドのときもそうだったが、英雄への称讃を向けられることにはいつまで経っても慣れる気がしなかった。だから英雄への敬慕だけではなく、商人と客人として言葉をかけられて、少しだけ安堵する。空にとっては、そっちのほうがずっといい。
「そういえば、鈴鳴さんは?」
冷やかしの代わりに振った世間話と同時、普段であれば自ら進んで店番を務める店主の姿を探して瞳を僅かに泳がせる。小間物屋(店主曰く『お守り屋』だそうなのだが、陳列している商品の多くは生活雑貨や装飾品のため、璃月の住人の多くはこの店を小間物屋と認識しているそうだ)の主は気さくな人柄で、璃月に訪れて間もなかった頃の空は彼女によく助けられた。道案内から探し物の手伝いまで、彼女には何度世話になったかわからない。
常に店の表に立つ人物の不在と、おとなたちの苦い声。それらふたつを並べれば状況の推測は容易であったが、声だけでなく表情にまで苦みが広がったから推測は確信へと変化した。
「店長は……」
「……ねえ、彼にお願いしてみたら?」
青年が言葉を濁らせた横で、女性がそっと提案する。「なにを考えてるんだ、不躾だろう」「でも、ほかに当てもないじゃない」男は客人への礼儀で眉をひそめるが、女性は礼儀で命が救えるのかと問わんばかりにその意見を切り捨てている。そして彼女は僅かに膝を曲げると、瞳の位置を空にあわせた。
「実は、ちょっと店を空けるって出てから戻ってこないの。五日ぐらいで戻るって言ってたのに、それから三日も過ぎてるのよ。さすがに心配だから探しに行きたいんだけど、私たちみんな、旅慣れているわけじゃなくて」
「成る程、それで困ってたんだな」
空の隣でふよふよと浮いていたパイモンも険しい顔でこくりと頷き、そして身体ごと傾けるようにして首をひねる。「鈴鳴さんはどこまで出かけたんだ?」パイモンの言葉に答えたのは、苦い表情を浮かべた男性だった。
「軽策荘のほうに行く、と言っていた。あの辺りの史跡が気になっていたようでね」
「鈴鳴さん、そういうの好きなんだ」
「ああ。古書の読み解きと史跡巡りが好きで、仕事が落ち着いてるときはこうして出かけることも多いんだが」
ときどき世間話をする店主の知らぬ側面に目を丸くさせていると、男はそれに少しばかり表情をほころばせる。それでも眉間はすぐ皺寄せられてしまったから、今回のような不在はよほど珍しいのだろう。
鈴鳴は神の目を持ってもいなかったし、恐らく武術の嗜みがあるわけでもない。だから店の者は揃って彼女を心配し、苦くくちびるを噛み締めているのだ。
「ねえ旅人さん、よかったら店長を探してもらえないかしら。もちろん、それに見合った報酬は用意すると約束するわ」
「大丈夫。最初からそのつもりだったから」
改まった女性の依頼に、空は小さく笑いながら頷く。彼女にとってはなんてこともなかったのかもしれないが、鈴鳴の厚意に自分は何度となく助けられているのだ。それであれば彼女へ厚意を返すのは、至極当然のことであった。もちろん彼女に助けられていなくとも、行方不明になってしまった誰かを探す手伝いをするなんて、空にとっては採択して然るべき選択肢であったが。
「なら、早速探しに行こうぜ! もしかしたら軽策荘に寄ってるかもしれないし、まずはそっちで情報収集だな」
パイモンの言葉に頷いていると、慌てたように声をかけられる。早速軽策荘へ向かおうとしていた空が返しかけた踵の向きを整えながら首をひねれば、男がどことなく重たそうにくちを動かした。
「その、出来れば……今回の件、飛雲商会の人間には悟られないようにしてほしい」
「うん? そりゃあ、会わなかったら大丈夫だろうけど……飛雲商会となにかあったのか?」
付け加えられた懇願は、少なくとも空とパイモンにとっては突飛なもの。璃月の商売人同士なのだから、空たちには想像出来ないような因縁でもあるのだろうか。ふたりは思わず合わせた視線の間で疑問符を浮かべ、互いの瞳に映しあった。
「いや、誓ってやましいことはない。ちょっとした、個人的な事情だ」
「……まあ、いいけど」
男は奥歯に絶雲の唐辛子の皮でも引っかかったような物言いをしていたが、他者に踏み込ませられない事情とあらば仕方ない。空とパイモンは首をひねりながらも頷いて、今度こそ爪先を軽策荘へと向けた。