武器や軍事用の物資をまとめ、順に撤去させてゆく。念のため駐在兵の数は平時のそれより多く残しながらも、戦の香りを少しずつ折り畳む。目刈り令の廃止の報せとともに海神島へ戻ったあともゴローの仕事は多かったが、これほど喜ばしい忙しさもほかになかった。
ゴローたちの意志は奪われることもなく、人々の願いが脅かされる日々はじきに終わる。海神島には安寧が戻り、珊瑚宮を祀る当たり前が舞い戻らんとしているのだ。部下へ指示を出す合間でこぼした吐息には、自然と安堵が溶けていた。
だが、やがて微かな違和がゴローの視界に映り込む。否、映らないことが違和として浮かびあがる。ゴローは医療兵営となっていた民家を忙しなく駆け回っていた女性を呼びとめながら、周囲へ視線を巡らせた。
「すまない、瀬名殿は?」
「ああ。彼女には別の仕事を託しておりまして」
「……別の仕事?」
珊瑚宮からの応援で医療兵営の退去を進めている人物の言葉に、ゴローは僅かに首を捻る。この場を取り仕切っており最も状況を把握している灯里へ、医療兵営の撤去以上に託す任務が果たしてあっただろうか。ゴローの疑問は、次の瞬間には水泡のように弾け飛ぶ。
「村の裏手で、亡くなられた方のご供養を」
――ああ、と。音もなく声がこぼれ、自らの視野の狭さを恥じる。目刈り令への抵抗で、海神島は多くの命を失った。ひとの命が毎日のように、呆気なく、無機質な数字と成り果てるほどに。そして彼らの多くはゴローの目の前で命を落とし、また多くはこの医療兵営で息を引き取っていたのだ。
「……それは、彼女にしか出来ない仕事だな」
ゴローが目を伏せながら頷くと、ええ、と女性が頷いてみせる。そして彼女は、僅かにその表情をほころばせて視線をゴローの更に遠くへ向けていた。
「よろしければ将軍も、彼らを見舞って差しあげてください」
「だが、俺がここを離れるわけには」
「少しくらいは大丈夫ですよ。もう武器を振るうわけでもない、陣を畳むだけですから」
それとも将軍は、ご自身の部下を信頼してらっしゃらないので? 挑発するような物言いを女性があえて選んだのは、ゴローの背を押すためだろう。珊瑚宮の巫女はみな言葉に優れ、海神島に生きる者を導く術に長けている。
「参ったな。それに反論出来るほど、俺は部下を信じていないわけじゃない」
苦笑しながらそう白旗をあげると、女性は満足そうに頬を緩ませてゴローの背をそっと押した。ありがとう、と彼女の厚意に頭を下げると、ゴローは部下のひとりへ声をかける。「すまない、少しここを離れる」「わかりました、お気をつけて!」いつになく活気に満ちた返答へ、眦は自然とほころんだ。
望瀧村の最奥に位置する小さな社の傍に人気はなく、瑞々しい空気が静かに満ちているばかり。道なりに沿って少し進めば、社に向かって首を垂れるようにしている人影が見える。ゴローが知るものよりも幾分か小さく見える輪郭へ、彼はそっと息吐いた。
「瀬名殿」
その背中に声をかけながら歩を進めると、俯いていた顔が弾けるように持ちあがる。ゴローを振り返りながらも彼女のくちから言葉が紡がれることはなく、けれどそれに、ゴローは安堵に似た心地すら覚えていた。
「亡くなった者たちがここに安置されていると、珊瑚宮の方に教えてもらった」
俺には、彼らに手をあわせる義務がある。告げれば灯里は、ただ首を振る。そんなことはないのだと言わんばかりの仕草、それでも彼女は喋らない。くちびるは動きを見せるものの、音を結ぶ前に空気が震えてしまうのだ。
「……瀬名殿。もう、戦いは終わったんだ」
堪える様子に首を振る。ゴローが告げれば、静寂がほんの僅かに波を生む。瑞々しい空気は水に濡れ、しっとりとした灯里の頬が殊更に水気を帯びる。それらを隠すように彼女の顔が白くも荒れた手指に覆われたから、ゴローは整然と並べられた亡骸へと瞳を落とした。
医療兵営で命を落とした者は多く、灯里はその命のすべてを看取ってきた。医療兵営を取り仕切るとは、即ちそういうことなのだ。
医療兵営で治療を受けた者は皆、灯里の声を聞きたがった。彼女の声は不安を拭い、生きようとするこころをあたためる、どこか不思議なちからがあったから。彼女に恐怖を払ってほしくて、戦場から生きて戻るしるべが欲しくて、灯里にことほいでもらいたがった。
だから彼女は、ずっとそうし続けていた。生きるための言葉だけを紡いでいた、それしか紡ぐことが出来なかった。今日まで命を燃やし続けた、すべての者たちに対しても。
「っ……ごめ、な、さい」
そんな言葉のひとつすら、今日まで声にすることが許されていなかった。
喉を震わせて泣くささやかな声を受け止めながら、ゴローは目を伏せて、ただ祈る。
ああ、だが、戦場で金糸雀が鳴くことはもうないから。ようやく流すことの出来た痛みも、これでやっと、悼みになる。
First appearance .. 2022/11/29@Privatter