アンダー・ザ - 1/3

( Support C / in school )

 中庭に広がる薔薇園のふち、仄かに甘やかな花の香りが広がる影。リンハルトが最近発見した昼寝場所は中庭からも建物からも死角となっているようで、誰かが自分を探しにやってくることもない。午睡と惰眠を貪ることの出来る空間へ足を踏み入れたリンハルトはしかし、美しく刈り揃えられた植栽の影から覗いた人影に足を止めてしまった。
 人目につかないリンハルトの新たな昼寝場所を占拠していたのは、年の割には些か小柄な同級生。豊かな社交性と好奇心で以て休日はあちらこちらを跳ねまわっているような少女はひとによく懐く野良猫のようでもあり、こうして憩いの場でひとり昼寝を楽しんでいることも少なくなかった。実のところリンハルトの昼寝場所で彼女を発見したのは、これで四度目のことである。
 ああ、ついていない。密やかに溜息を吐き出し、その場を離れるべく後退する。草木を震わせもしないように、枝を踏むだなんて以ての外。獣の警戒心から逃れるが如く慎重さで身体を動かしていたというのに、木陰の芝生で眠っていた人物は微睡みの余韻もなく目を開いた。
「リンハルトさん。御機嫌よう」
「……ああ、うん。御機嫌よう、ロゼッタ」
 彼女に気取られるよりも先にこの場を離れて別の昼寝場所へ行きたかったのだが、目を覚まされては仕方ない。起き抜けとは思えない機敏さで上半身を起こしたロゼッタはにこにことリンハルトを見上げていたから、それじゃあと踵を返すことも出来なかった。それでも往生際悪くその場から動かず撤退の機会を窺っているのだが、ロゼッタはリンハルトの心中など知る由もなく「リンハルトさん、お昼寝しないんですか?」と首を捻っている。君のせいで出来ないんだよと返すことは、さすがのリンハルトでも憚られた。
「あのね、ふたりで昼寝してたら問題でしょ」
「そうなんですか?」
「そうだよ、普通は。僕が言うのもなんだけど、君はもう少し外聞を気にしたほうがいいんじゃないかな……」
 リンハルトはフェルディナントやエーデルガルトほど貴族然としてもいないし、彼らのように体裁の美しさを重んじてもいない。しかし年頃の男女が外で同衾することの問題点がわからぬほど周囲の目を気にしないわけでもなかったから、不思議そうな表情を浮かべているロゼッタには溜息を吐いてしまった。彼女とカスパルのふたりは、そういった点の配慮が欠けすぎているきらいがある。
 溜息とともに苦言を呈してもなおロゼッタは丸くさせた瞳を眇めなかったから、リンハルトも彼女の説得は諦めた。「もういいよ、なんでもない」積み重なった面倒臭さに負けるようにその場へ座り込めば、四足歩行をする動物のような動きでロゼッタが隣に座り込んだ。だから、と言いかけてくちを噤む。彼女への説教と指導は自分の務めではない、フェルディナントの仕事だ。
「リンハルトさん、隈出来てますよ。夜更かししてたんですか?」
「ん、ああ、まあね。ちょっと気になることがあったから」
「それで授業にも出なかったんですね。エーデルガルトさんが困ってましたよ」
「立場があるとはいえ、彼女も大変だ。気が向いたら顔出しておくよ」
 色々なことを諦めて生あくびをこぼしているとロゼッタが下から顔を覗き込んできたから、微睡みたがる意識の端を宥めすかしながら重みの増したくちびるを動かす。寝る前に少し調べておこうと思った文献を読んでいるうちに浮かんだ仮説をまとめていれば、その裏付けと反証意見も探したくなるのが研究者としての性。資料の山を引っ繰り返しながら実証実験の手順を考えているうちに夜が明けてしまったから授業への出席は諦めて、リンハルトは皆が目覚める時間に布団へ潜り込んでいたのである。
 時間のずれこんだ起床と食事、その後は自室のもので賄いきれなかった更なる文献を探すためにまっすぐ書庫へ。文献探しにもようやく目途が立ったから息抜きがてらここへ寄ったのだ、とろとろと眠気が訪れてくるのも仕方のないことであった。つくづく、彼女と同じ場所を選んでしまったことが悔やまれる。一度腰を下ろしてしまえば立ち上がるのも面倒臭い、が、いまのリンハルトはとにかく昼寝をしたかった。
「……君は? いつもみたいにフェルディナントを捕まえに行かなくていいの」
「勉強は夕飯のあとに見てもらいます!」
 なんとかロゼッタを立ちあがらせることは出来ないかと授業後の恒例行事と化している兄妹の補講を提案しても、どうやら既にその予定は組んだあと。段々彼女を離れさせることも面倒になってきたから、まあいいかと溜息を吐いてリンハルトは薔薇の影に転がった。どうせ自分と彼女しか知らない場所なのだ、誰が見かけることもなければ余計な噂話も生まれはしないだろう。
 リンハルトが瞼を閉じたり、開いたり、鈍い行動を繰り返していると、ロゼッタも彼へ倣うようにして隣に寝転がる。その姿はとてもではないが貴族令嬢とは思い難く、そんな振舞いでよくいままで面倒な噂話のひとつも立たなかったものだといっそ感心すらしてしまった。もしかすると彼女の周りの貴族諸侯は、自分と同じように気を遣う者が多かったのかもしれないが。
「……ロゼッタ。一応言っておくけど、あんまりこういうことしないほうがいいよ」
 だが彼がこうして気を遣うのは、なにも彼女のためというだけではない。内務卿ヘヴリング伯爵子息という立場は、彼女とも浅からぬ縁を持っていた。
「お昼寝のことですか?」
「あー、まぁそうだね。せめて、自分の部屋のなかで昼寝したほうがいいんじゃない」
 エーギル伯爵子女ロゼッタの存在が公表されてから間もなく、リンハルトの下に婚姻の話が舞い込んできたことがあった。その相手こそがリンハルトの隣に転がって昼寝を再開しようとしている人物であり、当時の彼は碌に知りもしない相手と結婚する気はない、と父の言葉を聞き入れずに書庫へ篭もってやり過ごしたのである。
 父も縁談に乗り気でなかったことが幸いし、一度しか持ちかけられなかった話はそのままそこで立ち消えた。けれど当人の望まぬ縁を結びかけられた仲なのだ、万一にでもあがってしまった噂話が回り回って帝国を牛耳る貴族諸侯の耳に入ってしまえばなにより面倒なことになる。だからリンハルトは、昼寝場所のように人気の少ない場所で彼女と接触することを出来る限り避けようとしていた。
「でも、それじゃ日向ぼっこ出来ないですよ。私は駄目なのにリンハルトさんは出来るの、なんだかずるくないです?」
「ずるくない、ずるくない。部屋寝には部屋寝のよさがあるから」
 それでも彼女はこちらの都合もお構いなしに転がっているから、ほんの少しだけ頭が痛い。
 そんな面倒事さえなければ、良い昼寝友だちにもなれたのに。