マイ・ロード - 3/3

( Support A / during the war )

「へーいか」
「ロゼッタ……」
「御機嫌麗しゅう……ってお顔でもないですね。あんまりしかめっ面だと、折角の美貌が台無しですよ」
 半壊した大聖堂の脇から目を伏せるようにして市街の家屋を見下ろしていれば、その視界を遮るように映り込む女性の顔。無遠慮な野良猫のように視界へ割り込んできながらも、そのくちびるからは流れるように褒め言葉。気取ってはいるのに他意なく嫌味らしさも感じられないところが、全く以て彼女の兄にそっくりだ。そんなところまで兄譲りにならなくとも良かったのだけれど、と溜息を吐いていれば、ロゼッタはエーデルガルトの隣で少しばかり首を捻った。
「陛下のお立場なら頭を悩ませることも多いでしょうけど、考えすぎても身体に毒ですよ」
「……ええ、そうね。貴方を見ていると、なんだかそんな気がしてくるわ」
「でしょう? 悩ましいときほど、気分転換を意識しないと」
 少しの皮肉もどこ吹く風とばかりにロゼッタは明るく笑い、煉瓦の欠けた手すりに指をかける。その下に広がる市街地にかつての賑わいこそ見えないものの、そこには現在なりの活気があった。黒鷲遊撃軍の拠点となっている大修道院の裾野には、彼らの庇護する帝国の民が日々を逞しく生き抜いている。エーデルガルトもその声を聞いていたくて、こうして外へ足を運んでいたのだ。
「そうだ、ふたりでお買い物にでも行きます? お忍びでお出かけなんて、いい気分転換になりそうじゃないですか」
「そうしたいのは山々だけれど、周りに気付かれずにいられる自信がないわ。それに貴方、この間も街に降りてはヒューベルトに叱られてなかったかしら」
「ヒューベルトさん、他に報告することあるでしょうに……」
 皇帝という立場は決して気軽に着脱出来るものではなく、いまとなっては気軽に街へ降りることも難しい。街の者たちに無用の混乱を与えかねなかったし、そもそも戦時中に不特定多数の行き交う雑踏へ入り込むなど、自らの命を丸裸にして街道へ転がしているようなものだ。それこそ、淡々としていながらもくちうるさい腹心に気付かれたらいったいなにを言われようものか。頻繁に街へ降りてはそのことを指摘され嫌味を浴びることの多い人物へその事実を指摘すれば、ロゼッタは頬を微かに引き攣らせた。
「皇帝陛下も、なかなかに不便なものですねえ。好きにお買い物のひとつも出来ないなんて」
「それは貴方が奔放過ぎるのよ。貴方ほどの立場を持つ者は、普通そんなに容易く街へ降りたりしないわ」
 はああ、とこれ見よがしに溜息を吐いてみせる人物の言葉に少しだけ呆れながら、けれど、と胸のうちで密やかにこぼす。そう、けれど。彼女の奔放さはいまに始まったことではなく、そしてそれはエーデルガルトにとっても、黒鷲遊撃軍にとっても、ひいてはアドラステア帝国にも必要なものだった。
「……それでも、そんな貴方だからこそ、民に愛されているのでしょうね」
「んん? そうですかねえ」
「貴方の市井での評判は耳にしているわ。紋章を持たず、家督の継承権を持たず、それでも自らの腕一本で功績を挙げ、いまの立場を築いている。それでいて当然のように街へ降りては荷馬車の脱輪を助けるような人物だから、民は貴方に信を置く。街や軍のなかでは、貴方に憧れる者も少なくないそうよ」
 出来るひとがやれることをすれば良い、と、五年前から彼女はそう言っていた。そして彼女は自らの正義に従ってエーデルガルトを主君とし、かつてなんてこともなく告げた言葉の通りに出来ることをただ行い、その結果として一軍の将という立場を預かっている。その姿は紋章に拠らない実力主義を掲げるエーデルガルトにとっても、彼女を良しとして従う帝国の者にとっても、理想と憧憬の象徴であった。
「そんなに褒められたものじゃないですよ。兄様には未だにお行儀が悪いって怒られちゃうし、ヒューベルトさんにはいっつもお小言もらっちゃうし、リンハルトさんには怪我が多いって怒られるし、ドロテアさんはお化粧が適当過ぎるって注意されるし」
「そこまで言われるならひとつくらい改善して欲しいところだけれど……皆、それだけ貴方を見ているのよ」
 もちろん、私も。言えばぱちりと、ロゼッタの瞳が大きく瞬く。常識も礼儀作法も持たない、けれどだからこそ伝統と慣習に囚われない、その彼女の軽快な振舞いに一番憧れているのは、きっとエーデルガルト自身だ。自ら望んで帝位を継承し血の道を拓くと決めたエーデルガルトは、ロゼッタのように軽やかに飛び回ることはもう出来まい。けれど彼女が枷や轡に縛られていない天馬のように伸びやかでいる限り、自分のこころもまた解き放たれていると思うのだ。
「そんなにお褒め頂けると、なんだか照れくさいですね。私に出来ることなんて戦って勝つことと、陛下が望むときにふたりでお買い物へ行くことくらいですよ?」
「ええ、それでかまわないわ。だから貴方は、どうかそのままでいて頂戴」
 だって彼女はいまでも尚、エーデルガルトが望めばふたりで街へ買い物に出ようとしてくれるのだから。


First appearance .. 2020/02/29@Privatter, another name