( Support C / in school )
それは修道院の食堂横を通り、市街地へ向かおうとしたときのことだ。休日に広がる独特の喧噪のなかでも僅かに異質なものを見つけたから視線をそちらへ滑らせれば、女性のひとりが困り果てたような顔で頭上高くを見上げている。その瞳の先を追いかけてみると、高く伸びた植木の枝に真っ白な掛布が引っかかっていた。今日は天気も良いが風も強い、恐らく突風に煽られてしまったのだろう。あれでは女性が狼狽えるのも無理はなく、エーデルガルトは周囲をそれとなく見渡した。都合良く梯子があれば良かったのだが生憎ながらそうもいかなかったから、背の高い男性の手を借りる必要があるかもしれない。食堂を覗こうとしたところで、奥の扉から飛び出る影。軽快な足取りで石畳を駆け出さんとしていた人物は困り顔の女性の横を通り過ぎた直後にそちらへ戻り、彼女に話しかけていた。
ロゼッタ=フォン=エーギルは兄と同じく気持ちの良い心根の持ち主で、いまの女性のように助けを求めているひとを決して見過ごさない。それは恐らく、フェルディナントが施した教育の効果なのだろう。エーデルガルトが彼らの両親ではなくエーギル家の嫡男をまず想像する程度には、フェルディナントはロゼッタの世話を焼いたり説教をしたりと保護者めいた振舞いを見せていた。それを横目で見ていたドロテアには「ひとつ年の差の兄妹には見えませんよねえ、あのふたり。なんだか親子みたい」などと言われるほどである。
女性と話して視線をあげたロゼッタは、ぱっと明るく笑ってみせる。きっと「大丈夫ですよ」と声をかけているに違いなく、であれば彼女が次に取る行動も想像に難くない。食堂に戻っていくのだろうと判断したから彼女のほうへ向かおうとしたエーデルガルトは、しかし次の瞬間に目を見開いた。
なにせかの少女、高く伸びる樹の枝に足を引っかけて軽々とそこに飛び乗ったのである。まるで曲芸師か野山の動物のように危なげなく樹に登り、食堂の屋根より少し低い程度の枝に引っかかった掛布をきちんと回収すると、枝をしならせて軽く跳躍。「危ない!!」女性の高い声が広がるのも当然で、けれど他に悲鳴も、また物騒な物音も響きはしなかった。
両足と片腕を柔らかく曲げて着地したのち、ロゼッタはもう片方の手に抱えていた掛布を笑顔で女性に差し出している。彼女の表情には未だ困惑と狼狽が滲んでいたが、ロゼッタがけろりとしているからだろう大きく息を吐いており、彼女に深く頭を下げてからその場を去っていった。
手を振りながら女性の背中を見送るロゼッタも、やがてくるりと半回転。また石畳を駆け出そうとしていたから、エーデルガルトは早足で今度こそ彼女の下へ向かった。
「ロゼッタ」
「ん? あ、エーデルガルトさん! 御機嫌よう」
「ええ、御機嫌よう。ところでロゼッタ、先ほどのことなのだけれど」
放っておけば市街まで駆けて向かいかねない少女はきょとんと瞳を丸くさせて、更には首まで捻っている。何故エーデルガルトが呼び止めたのかもわかっていないような表情だったから、少し頭が痛くなった。勤勉で社交性に富み好奇心旺盛な我が黒鷲学級の女子生徒は、ときどき信じられないほどに破天荒でお転婆なのである。
「さすがにその格好で樹に登るのは、少しはしたないのではないかしら」
「でもあの掛布、また風が吹いたら別のところに引っかかっちゃいそうでしたよ? 早く取りに行ったほうがいいじゃないですか」
「すぐ隣が食堂だったのだから、ひとを呼べばよかったでしょう」
「呼んでる間に風が吹くかもしれないじゃないですか」
なにかとエーデルガルトに張りあってくるフェルディナントとも、このお転婆なエーギル家令嬢の型破りな振舞いには頭を悩ませあうほど。彼女はエーデルガルトの指摘もよくわからないといった顔で首を捻るから、どう説明したものかとこめかみに指を当てた。彼女が納得出来るよう言葉を重ねて教え諭すことに関しては、張りあうまでもなくフェルディナントに軍配があがる。少なくともエーデルガルトは、ロゼッタの言い分をほどくことが出来そうになかった。
「私は木登りも得意ですし、あの高さなら落ちて怪我することもありませんから。出来るひとがやれることをして、それで困ってるひとが助かれば、それに越したことはないと思うんです」
「それは……そう、だけれど」
だってエーデルガルトは、彼女の言い分に納得してしまった。性別だなんて単純な差異で勝手に他者を選り分けて「してはいけない」と言い放つのは、いまの世界の造りと同じくらいに傲慢で自分勝手。一方的な選り分けをせず能力を持つ者が行動する、それが正しい姿であるとエーデルガルトは信じているから。
「……でも、さすがにあれは危ないわ。落ちる可能性があるのだから、せめて下で貴方を受け止めるひとだけでも呼んでおくべきだった」
「んー、それは確かに……。じゃあ、次はそうします!」
だから、彼女の行為に終ぞなにも言うことが出来ないまま。「私、いまから街に出ようとしてたんです。エーデルガルトさんもお出かけなら、一緒に行きません?」エーデルガルトの葛藤など知る由もなく笑う少女の明るい声に、その隣まで引き寄せられた。