空は落ちてこない - 1/2

 途方もないほどに広大な砂漠を渡り歩き、烈日の遺構を幾度も巡る。狼藉の痕跡がないか確認し、いまなお機能する砂漠の守護者の横を通り抜ける。ひかりの乱反射と屈折を横目に、外套越しに風砂を浴びる。日光を弾いては煌めく砂の海に落とした足跡は、数時間もすれば新たな砂に掻き消されるだろう。すべての痕跡を覆い隠す柔らかな砂を幾度となく踏み越えた先で、イクリマは浅く息吐いた。
 砂漠の移動に苦労を覚えたことはないけれど、天高くへ坐した太陽の真下とあっては否応無しに体力を消耗する。日が昇るよりも早くから移動を開始していたことを思えば、一度休息を挟むべきだろう。イクリマが外套のフードを落としながら、砂漠に残る数少ない楽園へと足を踏み入れる。見慣れた人物が彼に気づいてその表情を明るいものにさせたから、イクリマもまた柔らかな笑みを顔に浮かべた。
「イクリマ! よくきてくれたな」
「こんにちは、マルフさん。先日はあまりご挨拶も出来ず、失礼致しました」
「どうしてお前が謝るんだ。それより、この間は本当に助かったよ。ちょうど解熱剤を切らしたところだったんだ」
「お役に立てたようであれば、なによりです」
 先日アアル村へ足を運んだ際に届けた荷物の受け取り先でもあったマルフは、イクリマの手を取り強く握り締める。砂漠では薬のひと粒でさえ貴重品で、そのひと粒の有無で命は容易く失われてしまう。イクリマも薬の調合には幾らか心得があったから、マルフの状況を察することは難しくなかった。だから先日は、食料や日用品ではなく生薬を持ち込んだのである。
「ほかにも入用な薬があるようでしたら、お分けしましょうか」
「ああ、それならあとで調合を手伝ってくれないか。イクリマの薬は効きがいいと評判なんだ」
「気のせいですよ、それは。調合の手順はマルフさんと同じなのですから」
 アアル村における唯一の医療の担い手という立場はときに重責ともなるのだろう、マルフはイクリマと交わす言葉の合間にもその顔へ安堵の色を滲ませている。大仰な物言いには笑いながら首を振り、けれど調合の手伝いには頷いた。自らの担う役割が砂漠の民の救いとなるのであれば、彼を手伝わない理由がない。
「キャンディスさんへご挨拶をしたあと、またお伺い致します」
「俺のほうは急がないから、ごゆっくり。今日はほかの客人もきていたから、積もる話もあるだろう」
 マルフの言葉にイクリマが首を捻るのだが、彼は瞳を眇めながら村の表を指差すばかり。どうやら客人は外へいるようだったから、イクリマはマルフへ一礼をしたあと踵を返して村の崖沿いに足を伸ばした。
 太陽に焼かれた石造りの階段を慣れた足取りで進み、アアル村の小さな表通りへ顔を覗かせる。そこは確かに普段よりも賑わいに満ちており、イクリマの視界にも久しい人物の顔が映りこんだ。
「ラフマン!」
「ん? おお、イクリマじゃねぇか! 久しぶりだな」
「それはおれの台詞だよ。息災なようでなによりだ」
 頼もしきエルマイト旅団のリーダーとは、決して知らぬ仲ではない。烈日の王を敬い、その末裔たる砂漠の民への不当な扱いに憤る人物は、イクリマにとっても気の置けない相手だった。友との再会で互いに手を取ろうと足を踏みこみ、視界の半分から建物の影が消える。そうしてひかりとともに、またひとの影。それにイクリマは、浮かべていた笑みを消失させた。
「……アルハイゼンさん」
「君か」
 貪欲な知欲の獣はイクリマに気づくと僅かな首肯だけを返す、その姿に不自然な様子は見受けられない。けれど学生でもない雨林の人間が砂漠に訪れているというだけで、イクリマのなかには疑念が浮かぶ。警戒に瞳を眇めるのは、ごく当然な防衛反応に過ぎなかった。
「どうしてここに?」
「休日に俺がどこへいようと、君には関係ないはずだが」
 問う声も容易く棄却される、学生の申請を却下するときと同じ自然な振舞いで。答える気はないらしい人物から視線を外してラフマンへ目を向ければ、彼は僅かに肩を震わせた。
「ラフマン、こちらのお客様は?」
「あ、ああ、セタレさんが呼んだんだよ。学校を作るために必要な教材の選定、とか言ってたな。こいつ、これで村の子どもに勉強を教えてやってるんだ」
「三回手紙を交わしただけだがな」
「でも、イザークは喜んでたぜ」
 セタレがアアルのためにちからを尽くしていることは、当然ながらイクリマもよく知っている。だがそこにアルハイゼンが関与していたとは、知りもしなかった。数度の手紙だけで招聘されるということは、彼はよほど正確に子どもたちの状況を把握しているのだろう。
 アルハイゼンが優れた知能と観察眼を有していることは理解していたが、セタレからの招聘に応じるほど他者との交流に能動的な人物であったとは想定外の事実であった。見たところラフマンもアルハイゼンに対しては信頼を寄せているようだし、その言葉から察するにイザークも彼に懐いているのだろう。
 捉えた現実に意識が揺らぐ。出会う人間のすべてが、彼は信用に足る人物であるという。イクリマの内側に踏み込み、叡智の血肉を暴こうとした怪物を。まるで異なる輪郭の差異に目眩めいた心地すら覚えていると、特徴的な虹彩がイクリマを捉えた。
「そういう君こそ、何故ここへ? 君がひとりでここまできたとは到底思い難いが」
「……おれがどこへいようとも、貴方には関係のないことかと存じますが」
 他愛ない疑問の体裁を取ってはいるものの、イクリマのいびつな状態を探らんとしているのは明白だ。微笑を作りかけられた彼の言葉をそのまま返せば、フン、と小さく息吐かれる。それでようやく、イクリマも留飲を下げることが出来た。
「ラフマン。セタレは?」
「お、おう。セタレさんなら、向こうで村長と話してるはずだが」
「わかった」
 アルハイゼンはその身を翻してふたりの傍を離れ、砂漠の小さな集落では珍しい色彩が視界の端から消えたのを確認すると、イクリマも淡く息をこぼした。それでも引き絞られ続けている意識の一部ばかりは、どうすることも出来はしない。雨林からの来訪者が、砂漠の楽園にいる限り。
「……イクリマ、あいつと知りあいだったのか」
「まあ、少し。ラフマンは……例の一件かい」
 ひりついた警戒心はイクリマのなかで埋火となっている、けれどそれは自分だけの問題だ。少なくとも彼はアアルに歓迎されていて、ラフマンもまたイクリマの警戒を呆れるように息吐いている。ラフマンはアルハイゼンとともに幽閉されていた草神の解放に協力していたのだ、彼にとってアルハイゼンは身内に近しい立場にあるのだろう。だからイクリマが問いかければ、彼はあっさりと頷いてみせるのだ。
「そう警戒するこたぁねぇだろう。確かにあいつは取っつきづらいが、決して悪いやつじゃない。少なくとも砂漠を疎まず、砂漠の民を迫害もしない。それどころか、ここを気にかけてるくらいだ」
「……ああ、そうなのだろうね」
 埋火を取り除こうとするラフマンの言葉に首肯する。確かに彼は教令院においてもイクリマを迫害することはなく、学生から向けられる不当な扱いを容赦なく糾弾してはイクリマの周囲からその人物を追い払った。すなわちアルハイゼンは、一般的な教令院の学徒よりは差別意識の少ない人物なのだろう。
 だが、事実を正しく認識してもなお。イクリマのなかから炎は消えない。閉ざされた扉のかたちを探ろうとする指は、それほどまでに恐ろしいものだった。扉の開き方を探らんとする瞳は赤鷲よりも鋭く獰猛で、そこに彼の本質を見出した。
 彼らはみな、あの化け物を知らないのだ。だから砂漠の民に対しても嫌悪や侮蔑を露わにすることのない、彼の平等さを評価する。イクリマが目を伏せてくちを噤んでいると、彼と同じように黙り込んでいたラフマンがやがて彼の頭を撫でた。
「まぁ、オレもあんなことがなけりゃ雨林が憎いままだったろうからな。お前の気持ちも、わからんでもないさ」
「……すまない、気を遣わせてしまって」
「かまやしねぇよ。お前もそのうち、慣れりゃあいいんだが」
 頭を乱雑に撫でる動きは粗野なものだったが、その仕草は同胞への親愛に満ちている。だからイクリマは彼の手へ身を委ねるがままに髪を乱され、最後にそれを軽く整える指の動きに小さく笑った。
 跳ねた前髪のせいで幾らか視界が広がったせいだろうか、ふとイクリマの目が変化を拾う。「ラフマン、あれは……」アアルの吊り橋に向かって必死の形相で駆けてくる人間の姿を見止め、ふたりは揃ってそちらへと足を向けた。
 橋を渡り、フォディルの下まで向かう。荒れた土のうえへ崩れ落ちていたのは、教令院の若き学生たちであった。
「おい、いったいなにがあった!」
「っ、た、たすけ、て」
 身体全体で呼吸を繰り返しながら、ふたりの学生は音の飛んだ声で辛うじて空気を震わせる。アアル村の守衛が革袋の水を差しだせば震える指がそれを握ろうとするのだが、握力の消えた手はそれすら掴むことが出来なかった。
 貴重な水が土へ還される前にその手を支え、学生の顔を覗きこむ。「声は出さなくてかまいません。獣ですか」生白い指越しに革袋を握りながら問えば、青年は首を左右に振った。「では、人間ですか」その言葉に首肯を返される。「エルマイト旅団の旗はありましたか」三度目の質問には否定。「駄獣を連れていましたか」その言葉には首を縦に振られたから、イクリマは細く息を吐きだした。
 残りの確認には言葉が必要なため、学生の指に手を添えて水を飲ませる。喉の嚥下を確認してから、イクリマは再度くちを開いた。
「貴方たちはどこにいて、どこで相手と遭遇しましたか」
「お、俺は、北のほうの、大きな遺跡に行こうとして」
 アアル村の北部に位置する遺跡であれば、聖顕殿に間違いないだろう。その地のなんたるかも知らず巡礼の土地へ身勝手に立ち入ろうとしていたのかと思うと、皮膚の表面が本能的な不快感に舐められる。眉をひそめながら続きを促すと、学生は恐怖の残滓に震えた喉から声を絞りだした。
「ただ、砂嵐で道に迷ってしまって、遺跡の正面に辿り着けなくて。なんとか進んでいたら人影が見えたから、助けてもらおうと思ったんだ。それで声をかけたら、い、いきなり」
「……お前たち、誰の案内もつけずにあそこへ向かおうとしたのか?」
 学生の供述に、ラフマンもまた眉間へ皺を寄せる。砂漠を知る者としては当然の反応だろう、そこは大赤砂海のなかでも一層砂嵐の吹き荒ぶ地だ。千尋にほど近い砂漠を安全に通り抜けるには砂の民かジンニーの助力が必要不可欠であり、砂嵐を読むことの出来る存在がなければ立ち入るべき土地ではない。
 そもそも賢明なスメールの民であれば、独力で砂漠へ到達しようなどと考えることもないだろう。学生の無謀な判断を咎める音に、彼らは苦く顔を歪めてラフマンたちから目を逸らす。噤まれたくちの裏側を暴いたのは、橋の木板を軋ませた第三者であった。
「資金難、もしくは担当教員との不和により案内人を雇うことの出来ない学生は往々にして存在する。そういった状況になれば大抵は研究を見直し、比較的安全な雨林での調査へテーマを変更することが多い。だがときどきいるんだ、追い詰められたが故の反骨精神で単身で砂漠に飛び込む学生が」
 そしてそれはほとんどの場合、道中で命を落とすわけだが。冷淡に事実を暴く声に、学生たちの肩が大きく跳ねる。土気色の顔が見あげた先にいたアルハイゼンは変わらない無表情のまま、僅かな嘆息だけをこぼした。
「おいおい、教令院の学生ってのはそんなにクレイジーだったのか?」
「集団の母数が多いほど、外れ値が存在する確率もそれに比例するからな」
 学生の愚行へ呈される苦言も、しかしイクリマには関係のないものだ。土気色ながら辛うじて生気を取り戻した学生から指をほどくとその場についていた膝を伸ばし、イクリマは荒れた岩肌の遠く向こうに目を向ける。
「……様子見に行ってくる。ラフマンはここの護衛を」
「おいイクリマ、まさかひとりで行く気か?」
「大丈夫だよ、地の利はこちらにあるのだから」
 学生たちの迷い込んだ先には見当がついているし、イクリマには砂の合間を潜り抜けることへの苦労もない。青年たちの二の轍を踏むことを心配しているのだろうラフマンへ笑顔を見せれば、彼は反論を失ってくちを噤んだ。
 そうして同胞へ楽園を託し、赤土を踏み締める。外套のフードを羽織ると同時、それよりも深い影がイクリマにかかった。
「なら、俺も同行しよう」
 感情の滲まない、低い声。イクリマより幾らか背の高い男を、半ば反射で睨みつけた。
「その必要はありません」
「君が彼らに確認した通り、砂漠には駄獣を引き連れた複数人の強盗がいる。それを相手取るのなら、戦える人間が複数いるに越したことはない」
「貴方に砂漠を渡ることが出来るのですか」
「君というガイドがいるのだろう?」
 アルハイゼンの主張は正当で、そのために拒絶の隙がない。雨林の人間では足手まといになる可能性を指摘すれば、それはイクリマの実力不足なのだと暗に告げられる。衝動性の強い感情が湧き起こらんとしたからすかさずそれを鎮火していれば、ラフマンがおもむろに頷いた。
「アルハイゼンの言う通りだ、こいつと行きな」
「……この程度、心配するほどのこともない」
「それでも、だ。だったら、ふたりでさっさと終わらせてくりゃあいい」
 押し問答を続けたところで時間は無為に過ぎるばかりで、その間にも悪漢の痕跡は風砂に埋もれてゆく。イクリマが苦い顔でわかったと呟けば、ラフマンがその顔を僅かに緩ませた。分厚い手に背を押される、先ほどのように頭を撫でられることはない。いまここにいるのは、対等な砂漠の戦士たちだったから。
「武器は?」
「なくていい」
 ラフマンとともにいるときは弓を引くことが多かった、けれど今回はその手に武器を握っていないほうが好都合になるだろう。あまり気は進まなかったが自身の神の目をそっと撫でれば、イクリマの意図を理解したのだろうラフマンも僅かに頷いた。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「ああ。ふたりとも、気をつけろよ」
 そうして赤土を踏み、砂を渡り始める。アルハイゼンはイクリマの半歩後ろを追うようについてきたから、意識の三割ほどは彼の動向に割いた。
 砂地に残った痕跡を追うだけならば、七割の意識でじゅうぶんだ。緩やかに吹き続ける風の運んだ砂で、既に足跡は消えかけている。けれど窪みを埋めた砂の波には通常のそれとは異なる曲線が薄ら浮かびあがるから、目印としての機能は失われていない。固く踏み締められた道からやがて外れ、こぼれる砂の描く模様を追いかけて柔らかな砂地を進み続ける。アルハイゼンは僅かに眉をひそめていたが、歩行の速度に変化はみられなかった。
「……何故ついてきたのですか」
「強盗の正体は君もわかっているのだろう。そろそろ取り締まられてもらわなければ、いちいち三十人団に声をかけられるのが面倒だ」
 道なき道を進むアルハイゼンは下手な学生よりも砂漠に慣れている様子だったが、それでも砂地に顔をしかめる程度にはその土地への馴染みが薄い。歩くだけで眉をひそめるような地へ足を踏み入れるには、彼の行動原理は不明瞭だった。正当だが意図のない主張の理由を問えば、アルハイゼンは僅かに肩を竦めてみせる。彼の言葉に、イクリマもその表情を険しいものへ変化させた。
 最近スメールシティを騒がせている強盗団は、砂漠に潜伏している可能性がある。その可能性を探るために『沈黙の殿』は手分けして砂漠の変化を確認しており、イクリマもその途中でアアル村へ寄ったのだ。
 そこで飛び込んできた学生たちの供述は、イクリマの抱いていた可能性を丁寧に裏づけた。荷運びの駄獣を引き連れた、砂漠の民である証拠を持たない無法者たちが、砂嵐に紛れて街道から外れた砂地を歩んでいる。それが強盗団に繋がる何某かであることは間違いなかった、だから彼はこうして砂海の奥地へ向かっている。
「それは、貴方が同伴する理由になりません」
 だが砂漠に立ち入る罪人を疎むイクリマとは違い、アルハイゼンがこの土地に肩入れする理由はない。強盗の確実な捕縛のために彼がイクリマへ同行する、その理由は未だ埋められたままだった。睨むように男を見あげれば、彼は瞳のかたちだけを僅かに変える。イクリマへ皮肉を告げるときと、まったく同じ瞳のかたちだった。
「市民の義務を果たしているだけだ」
 なんらかの揶揄なのだろう言葉の意図が理解出来ず、眉間へ寄せた皺を一層深くする。言葉を重ねようとしたけれど、それは砂粒の隙間から垣間見える光景の前で霧散した。幾重にも重なった防砂壁の隙間を利用するように、長期の逗留を見据えた野営地点が設けられている。砂が啼く合間で、疎らに混ざる人間の声。煙る視界においても硬貨の輝きを認めることが出来たから、ふたりは自然と瞳を眇めた。
「ここで待機していてください」
「ほう。まさか、君も外れ値だったとはな」
 岩陰に身を潜めてそう告げれば、正気を失った愚行だと呟かれる。どこまでも無礼な物言いに眉をひそめたのち、イクリマはわざとらしい溜息を吐いてみせた。
「警告なき襲撃を選択しては、無法者の蛮行と変わりませんので」
 自分たちは太陽ではなく、烈日の臣下に過ぎないのだ。ならば太陽の代行者としてその意思を明確にし、相手に選択の猶予という神からの温情を授ける必要があった。効率性を重視したのだろう蛮行を採択しようとするアルハイゼンをひと睨みしてから、イクリマは岩陰から身を隠すこともなく柔らかな砂を踏み締めた。
 風砂に晒され続けて削れた防砂壁の隙間へ足を踏み入れれば、そこを拠点としていた男たちは当然ながら侵入者たるイクリマへと目を向ける。「なんだ、テメェは」その野蛮な声に溜息をついた。いかにも汚らわしい人物だ、侵入者へ傾ける温情の必要性をイクリマは常に疑問視している。それでも警笛を鳴らすのは、その振舞いこそが王の品位を示すことになるからにほかならなかった。
「ここは貴方がたの地ではありません。この土地に帰属し、砂の民となり、赤絹でその目を覆うつもりがないのであれば、すぐにもこの地を去りなさい」
「なにをわけのわからねえことを……ここはお前の国だとでも言う気かよ」
「私の国ではありません。ここは我らが太陽の統べる国、烈日の眠る土地。その瞳を焼く王の威光を恐れなさい、天高くに坐す王へ首を垂れなさい。さもなくば、その身は太陽に焼き尽くされるでしょう」
 神からの温情、平伏の宥恕。忠告を放ちながら視線を巡らせる、無法者の数は十にも満たない。イクリマが声を紡いでいる間にも男たちが彼を包囲することはなかったから、底の浅さを胸のうちで嘲笑した。
「頭イカれてんのかよ。お前ら、さっさと片づけちまえ!」
 そうして無法者たちは動きだし、イクリマの忠告は砂間へ打ち捨てられる。決裂した交渉に笑みを浮かべ、胸の前で腕を掲げた。かまえた剣とともに突進する男の鈍重な動きを半歩の動きで躱し、虚空から浮かびあがった古い装置へ意識を注いだ。
「――光あれ」
 祈りを紡ぎ、不可視の指でひかりを織る。機構を通して手繰った炎を射出すれば、次の瞬間には悲鳴があがった。
「ひぃッ! に、逃げろっ!」
「っおい、なにしてんだ! こんなやつ、とっとと」
 武器を捨てて逃走を図った者の背に炎弾を放ち、それを引き留めようとしながら槍を握った男の膝へ炎の槍を刺し穿つ。古き意匠、かつてこの地へ確かに存在していた栄光の輪郭。炎によって形取られた刃が、不敬者を貫いては爆発する。それらと同時に肉の焦げる匂い、獣とさして変わらない慟哭。耳障りな悲鳴に眉をひそめながら、自棄を起こして剣を握った男を冷たく見据える。
 剣を握るということは、相手を殺すという意思だ。そして相手を殺す意思持つ者は、その逆もまた呑みこむ者だ。男の頭上で炎を編み、影をまとわぬ槍を生む。脳天を貫くための刃はしかし、男の顔を潰さなかった。
「っぐ、あああッ!」
 砂漠には縁遠い新緑のひかりが男を割き、その痛みと衝撃によってたたらを踏んだせいで照準から外れたのだ。けれど砂地に埋まった槍を爆破させれば、男の手足を炎が舐める。人肉を焼きながら這いあがる炎への絶叫とともに、男は砂地に転げまわった。
「そこまでだ」
 炎弾を撃ち込もうとしたイクリマの指は低い声に止められ、剣を収めた男を睨みつける。逃げだした無法者たちは彼がすべて捕縛したのだろう、アルハイゼンの周辺では草元素の余韻が僅かな燐光として浮かびあがっていた。
「止める必要がどこに?」
「言っただろう、市民の義務だ」
 侵略者の粛清を止めたアルハイゼンは、手足の肉が焦げつく痛みに泡吹いた男の胴体を荒縄で縛りあげる。その身体は彼らが用いていたのだろう荷車のうえへ放り込まれ、やや手足の捻じ曲がった身が人間たちのうえに積みあがった。
「君は彼らに気づいた時点で殺すつもりだったのだろう。確かに彼らが死んだところでそれは自業自得だ、同情の余地はない。だが予期可能な殺人を把握したうえでそれを見逃しては、俺が殺人幇助の罪に問われることになる」
 辛うじて絶命を避けた男たちの押し込まれた荷車の引き手に太く長い縄が結びつけられ、アルハイゼンはそれを駄獣に引っかける。けれど駄獣は動く気がないようで砂地に身を投げだしたから、彼は荷袋に手を突っ込んだ。そこから取りだされたデーツの実に、駄獣は身を乗り出してかじりつく。
「スメールには法があり、違法者は法に則って裁かれる。よく覚えておくといい」
 空腹を満たした駄獣はアルハイゼンの手に顔を摺り寄せ、彼の隣を歩こうと柔らかい毛に覆われた四肢をのっそりと動かし始める。駄獣を引き連れて戻らんとする男の瞳はあのかたちをしていたから、イクリマはその表情を歪めることしか出来なかった。