槍を横薙ぎに振るい、後退した相手の懐を目掛けてすかさず踏み込む。持ち替えた槍を突きだし、相対した男の腹の肉を削ぐ。鮮血と悲鳴、集団に生まれた混乱の火種を煽るかの如く剥きだしになった肉を一蹴する。痛みと衝撃に耐えきれず転倒した男の傷を踏みつけ、槍の先端を真下へ向けた。竦みあがり引き攣る空気の音がする、瞳は死の恐怖に歪んでいる。だが、それがいったいどうだというのだろう。
命乞いは途中で止まる、そのくちには重力を背負った槍が突き刺さっていた。舌を割いた槍を抜き、刃を汚す人間の体液を振り払う。立ち回るには邪魔な死体を脇へ蹴り飛ばし、周囲へ視線を巡らせた。囲まれているのはイクリマだが、数の差を恐れることもない。視界に映る人間たちから戦意は消え失せていた、そのためにわかりやすく見せしめを作りあげたのだ。
崩壊の寸前まで引き絞られた空気の破裂は、イクリマの背後から訪れた。顔の横を矢が走り、人間ではなく砂地に向かって放たれたそれは狙い通りに着弾する。重石のつけられた太い矢は乾いた砂を容易く巻きあげ、集団の視界を塞ぐ砂塵で張り詰められた糸が焼き切れた。
金切声をあげて逃亡を図る者もいた、判断を誤って武器を振りあげながら直進する者もいた。前者は姿の見えない射手によって的確に撃ち殺され、後者は槍の柄で斧を受け流したイクリマが肘から指にかけての肉を割いた。耳障りな悲鳴を砂地に撒き散らし、腕を抱えながら逃げようとする。だが本気で逃げようとするのなら、どうして背を露わにするのだろう。腿を裂けば足は縺れてその場に崩れ、無防備な背中に槍を立てる。崩れた体躯の首を切れば吹きあがる鮮血、その血の勢いを確認したのち男の死体から身を離した。
周囲を見渡し、集団の命すべてが潰えていることを確認する。弓に急所を撃たれた者は呼吸がないことを確認したが、念のために刃を入れた。臓器からはごぷりと血が流れ落ちる。最後に虚空で槍を振るって血糊を払えば、砂地に赤い線が走った。
「……これで終わりだな。帰ろう、ジェル」
「ああ、お疲れ様。……彼らも忠告をおとなしく聞いておけば、こうはならなかったのだがな」
「邪な思いで王の遺構に踏み入る者への忠告なんて、いらないと思うのだけれど」
「そう言うなよ。王は苛烈でこそあらせられたが、無慈悲な方ではなかった」
ともに使命を果たした同胞の言葉は真実であったから、イクリマはそれ以上の反論を堪えて息を吐く。足元には墓荒らしだった者が辿った、その罪業に相応しい末路。かつてこの地に君臨した神の遺産は、たとえ七神であっても触れてはならないものなのだ。
「それにしても。お前、こういうときに神の目は使わないのか」
イクリマは彼自身の負った務めにより、無法者の始末へ駆り出される機会はそう多くない。けれど『沈黙の殿』の人間が組織の背負う役目を果たさないわけもなく、必要に応じてはこうして罪人の命を摘み取っていた。
だがそのとき、イクリマは神からの恩恵に指を伸ばさない。握る武器は専ら槍が多かったが、自分よりも近接戦闘に長けた同胞と並びたつときには弓を引いた。どちらでも問題はない、『沈黙の殿』の民は王から受け継いだ武術を等しく修めているのだから。ジェルは弓を得手としていたからイクリマは槍を取った、ただそれだけのことである。
「これはヘルマヌビス様からの授かりものだもの、このような者たちの始末に使うわけにはいかないよ」
罪人を神から授かった炎で焼き尽くすのも、或いは正しく神の導きであったかもしれない。けれど王の在りし日を踏み荒らさんとした者に対しては、浄化の炎を向ける温情を受けることさえ烏滸がましい。だからイクリマは、指先で元素を手繰りはしなかった。
そして、加えるならばもうひとつ。死体から離れ、外套を羽織って秘境への帰路を友と辿る。転がる死体から離れるほどに、砂海へ喧噪が滲みだした。
「それに、赤鷲は生肉のほうが好むだろう?」
「……まぁ、それは確かに」
砂漠に生き抜く命へ餌の在り処を伝えるためには、血の匂いを風に乗せるのが最も効率的な方法だ。そうすれば案の定、背後からぎゃあぎゃあと猛禽の鳴き声が輪唱するように膨らんでゆく。あれほどの赤鷲が集まったのなら、鮮度の高い屍肉は一夜を待たずに獣の腹へと収まるだろう。
彼らは王の亡きあと砂漠に居着いた不吉な存在だが、それでも砂漠に生きる命だ。それならば労を払って炭を作るより共生する命へ後始末を託したほうが、互いに利益を分かちあえるというものだった。
「でもお前、結構返り血を浴びてるぞ」
「まあ、血を避けられるほど武芸が達者なわけではないからね」
だがジェルはイクリマの服に飛び散った血痕を見て眉を顰めると、おもむろな動作で指を伸ばす。ぐい、と頬を荒く拭われたから、どうやらそこに血が跳ねていたらしい。身体にかかる血飛沫など気にもせずにいたから、それを気にするジェルの様子がイクリマにとっては珍しかった。
「……なにか、よくないことが?」
「不吉な兆しはなにもないよ。だが、首領はいい顔をしないだろう」
首を捻れば思いもよらぬ名前が鼓膜に触れ、思わず目を丸くさせてしまう。セトスとイクリマの間でなにかが起きたわけでもないのに、彼はどうしてそう考えたのだろうか。何故と問うが、答えが返されはしなかった。ただ苦笑を漏らされたのみである。
「ああほら、やっぱり。お出迎えだ」
歩を進めて沈黙の殿の傍まで戻れば、白く曲がったタマリスクの幹に脚を引っかけていた人物が身軽な動作で砂より硬い地に下りる。太陽が地平線に触れる時間帯であろうとも、その人物を見紛うことばかりは起こり得ない。「セトス」呟くように名を呼ぶと、美しい新緑の瞳が眇められた。
「イクリマ、ジェル! おかえり」
「ただいま戻りました、首領」
「ふたりとも無事みたいでよかったよ。……その返り血を除けば、の話だけど」
セトスはジェルの一礼に笑顔で頷き、イクリマへ目線を向けると笑みに僅かな苦みを混ぜる。ジェルが言った通りだろうといわんばかりに細く息を吐いたから、瞳で再び何故と尋ねた。相変わらず、彼から返答は寄越されない。
「ええと、その……気に障るようなら、水を頂いてから戻るけれど」
「ごめんごめん、別に嫌ってわけじゃないよ。でも怪我はしてない?」
「ああ。おれもジェルも、指のひとつも傷を負ってはいないよ」
だがここで追うべきはジェルの沈黙ではないと判断し、セトスから半歩の距離を取る。蛮族の血が汚らわしいとされたなら、いまのイクリマは彼に近づくべきではない。けれどセトスは生んだ空白を容易く埋めて、イクリマの手を掬いあげた。
「まぁでも、その姿だと子どもたちの教育にも悪い。流してから戻ったほうがいい」
「ああ、わかった」
触れた手のぶんだけ、更にセトスとの距離が埋まる。イクリマのもう片方の手を塞いでいた得物はジェルが沈黙の殿まで持ち帰ってくれるようだったから彼に託し、セトスの手のひらからも自身の指をそっと抜いた。
「……じゃ、僕も水浴びしてから戻ろうかな。そろそろ太陽も眠る頃だしね」
「……うん?」
だがその手はあっさりと握られて、離れたはずの手指が再び結ばれる。イクリマが首を捻っても、セトスはにこにこと笑顔を浮かべるばかりであった。
別に、誰がどこで沐浴をしようとかまわない。泉で偶然顔をあわせた同胞とともに穢れを落とすことだって、特別珍しいことではない。だがふたりにそれぞれ指摘されるほど血の気配が濃いイクリマと、あえて沐浴をともにする必要はないのではなかろうか。少なくともイクリマは、血を濯いだ水にセトスを触れさせたくはない。
「暗くなる前にはお戻りくださいね」
「あはは、さすがにそれまでには帰るよ。そんな時間まで水浴びをしてたら、誰だって風邪を引いてしまう」
だがセトスはイクリマをオアシスまで引っ張っているし、ジェルがそれを止める様子もない。困惑のまま水辺まで連れられたイクリマは、外套を剥ぎとろうとする指を慌てて止めた。
「せ、セトス、自分で脱げるから」
「そう? じゃあ早く早く、日のある間に済ませないと」
彼を沈黙の殿へ追い返す理由をくちにするタイミングも見失い、促されるまま外套を下ろして木の幹へと引っかける。血を浴びた着衣ごと清廉な水に身を浸せば、上着を脱いだセトスも同じように泉のなかへその身を置いた。
「あ、ほら見てイクリマ。水面が綺麗」
「……ああ、本当だ」
汚れた水が彼の傍にいかないようそれとなく距離を取っていたイクリマは、セトスの声に顔をあげる。そして視界いっぱいに広がる色彩へ、密やかに呼吸を失った。
太陽を失う直前の空は、悲しいほどに美しい。まるで楽園の色彩を流し込んだような空の色が、澄んだ水面にも溶けている。けれど砂漠を覆う幻想的な天蓋も、それを映しだす水鏡も、やがては落ちる夜の帳に隠されてしまうのだ。それが切なく苦しかった、太陽を知らぬ身にとってさえ。
落日を惜しむような思いで目に映る景色を見つめていたイクリマの腕に、そっとオアシスの恵みが落ちる。いつの間にか彼の隣に立っていたセトスが、イクリマの腕についた汚れを丁寧に濯いだ。
「セトス、自分でやれるから。お前は先にあがっておくれ」
「駄目だよ。いまのイクリマをひとりにさせたら、太陽が眠るまでずうっと見惚れてそうだからね」
どうやらイクリマはセトスが想定していた以上に広がる光景へ見入ってしまっていたらしく、イクリマの言葉に頷こうとしない。そうなれば目的を手放して太陽を見送っていた自身の振舞いを反省するほかなく、イクリマは肩を落としながら粛々と血の汚れを落としてゆく。
そうして夕闇が空を覆いきって、拠点の内側へふたり揃って戻るまで。セトスはイクリマの隣から離れなかった。
( 夕闇の手前 – 早く早く / 夜の帳が落ちる / 気にもせず )