微睡みのまほろば - 2/4

 スメールシティは広大だ。砂漠ほど果てなく広がっているわけではないが、大樹と共生をする街の造りは見晴らしの良い砂漠よりも複雑に入り組んでおり、殊にひと探しには向いていない。大樹にそって整備された坂道の影にも、おうとつの大きい幹の隙間にも、人影の埋もれる空間があるからだ。
「おじい!」
「ん? おお、ディシアか。どうした」
「ちょっと人探しにな。リーシャがここに来なかったか?」
 けれどディシアは恋人のため、そのスメールシティをこうして駆け巡っている。表に顔を出していたレグザー庁の長へ世間話がてら声をかければ、アスファンドは訳知り顔で小さく笑んだ。幼さの滲んだ表情にディシアは状況を察して苦笑をこぼし、駄目だったかと息を吐く。そんな彼女を労うように、肩を軽く叩かれた。
「一時間前にはいたんだがな。もう出ていっちまった」
「やっぱりか。ありがとな、おじい。それじゃ他を当たってみる」
 恋人の痕跡はアスファンドの笑みばかり、そして彼は当然ながらそれ以上の情報をディシアへ告げない。彼女もそれを承知していたから、ひらりとその身を翻した。「頑張れよ!」いかにも愉快そうな声援を背中で受け取り、利き手を軽くあげることで返答としながら今度はバザールへ。ディシアにとっても馴染みの深い場では、まるで彼女の来訪を待ち望んでいたかのように友人たちが立ち話に花を咲かせていた。
「あっ、ディシア!」
「よう。久しぶりだな、ふたりとも」
 ドニアザードとニィロウがぱっと笑顔を咲かせたから、ディシアもふたりの下へ足を運ぶ。「元気にしてましたか」未だ身辺の落ち着かないことも多いだろうに、ドニアザードはディシアの言葉へ明るい笑顔で「ええ!」と頷いた。
「ディシアは、今日はお買い物?」
「いや、ひと探しだ。ふたりとも、リーシャを見なかったか?」
 たおやかに小首をかしげるニィロウにも問いかければ、彼女はオアシス色の瞳を丸くさせたあとに「ふふっ」小さく笑う。ああこれは、またハズレか。今日何度目かもわからない肩透かしは、けれどそれも清々しいものだった。
「ちょっと前まではここにいたんだけど、さっき外に行っちゃった。今日はじっとしてられないから、って」
 やっぱり、ディシアとなにかしてたのね。微笑ましそうに微笑まれる、友人の仕草がディシアの内側を温める。夜の砂漠にしか生きられない冷たいいのちは、少しずつだけれども、確かに雨林の都市であたたかいしずくを落とされていた。
「今日はあいつの誕生日なんだ。それで、なにが欲しいか聞いたら「かくれんぼがしたい」って言われてさ。だから今日は、朝からずっとリーシャを探してるんだよ」
 いままでも彼女の誕生日には出来る限り砂漠へ戻るようにしていたし、彼女の甘えのすべてを愛した。けれどこんな望みをねだられたことはなかったから、くすぐったさを覚えると同時に罪悪の苦みが舌を覆う。詮無い後悔は、愛とともにディシアを一生苛むものだった。
「そうだったんだ! ああ、それならさっきおめでとうって言ったのに」
「それに、お祝いだって準備したわ! ディシア、リーシャを見つけたら伝えておいて。今度のおやすみには、お誕生日パーティをしましょうって」
 だが、その苦みもざらつきも、すべて愛の存在証明。甘苦い感情を飲んでから、目を丸くさせるドニアザードとニィロウの言葉に頷いた。リーシャにとって自身の誕生日とはディシアにだけ祝われる日だったが、未来は現在に固着しない。今宵は『熾光の猟獣』の団員たちが宴を開くし、幾日かをわたった先ではドニアザードたちが色とりどりのスイーツを準備するだろう。あたたかいしずくが、夜の砂漠にまた落ちる。
「ああ、必ず伝えておく。じゃ、あたしはあいつを探してくる」
「うん、頑張って!」
 砂漠にどれほどの雨が降ろうとも、そこに新芽が息吹くことはない。それでも雨は、砂礫の隙間をあたためるから。ディシアはふたりの声援に笑みを返すと、またスメールシティを駆け巡る。雨林の都市で彼女を知るひとが存在している、その喜びを噛み締める。

 そうしてかくれんぼに興じてどれほどの時間が経つだろう。中天に坐していた太陽が僅かばかり傾く頃には空腹を覚えざるを得なかったから、ランバド酒場でも覗いていこうかと考える。それはリーシャも同じだろうから、カフェか酒場に顔を出したとしてもおかしくはない。さてどうするかと道脇で次の行く先を検討していると、ふと第六感がディシアの琴線を小さく鳴らす。導かれるまま顔をあげ――そして彼女は、ぎょっと頬を引き攣らせた。
「っ、リーシャ!!」
 教令院の出入り口よりも更に高いところから翼も広げず、ただまっすぐに落下する。けれど彼女の目はまっすぐにディシアを見据えていて、そして瞳がたわんだから。心配する思いと、呆れと、些か怒りたくなるような心地と、それらのすべてを呑みこんだ愛おしさで、ディシアは両手を広げてみせる。
「ディシア!」
 リーシャは寸分のずれもなくディシアの腕のなかに落ちてきて、そのまま彼女を押し潰してしまう。石畳に尻餅をつきながら辛うじて顔をあげれば、ディシアの全身に受け止められた恋人は彼女にしっかと抱き着いた。
「あのなあ、幾らなんでも危ないだろ」
「大丈夫よ。だって大丈夫だったでしょう?」
 リーシャのことだ、ディシアの身体が壊れるような負荷はないと踏んだうえで飛び降りてきたのだろう。だがそうだとしても肝が冷えたし、石畳へしたたかに打ちつけた身体はじくじく痛む。「あたしが受け止められなかったらどうするつもりだったんだ」乱れたリーシャの髪を整えながら溜息をこぼしても、上機嫌な彼女のこころにはあまり響いていないようだった。
「起きないわ、そんなこと。わたしはディシアのいるところにしか行かないもの」
 自然の摂理を語るような声でそう言われてしまうから、毒気を抜かれるのはいつだってディシアのほう。リーシャはディシアの手のひらに頬を寄せると、ひんやりとした指でディシアに触れた。
「いまもそう。たくさん探してほしくて隠れてたのに、我慢出来なかったの」
 やっぱりわたし、ディシアといたいわ。
 そう身を寄せてくる恋人への愛おしさ以上、ほかのなにがこころを掻きたてるだろう。どんなところに隠れていたのか、ひやりと冷たくさらりと乾いた肌心地。腕のなかに収まる、最も然るべき温度。それらを強く抱き締めれば、リーシャの瞳が愛に蕩けた。
「なら、かくれんぼは終わりだな」
「うん。あとはずっと、一緒にいましょう」
 シャーベットが溶ける瞬間のような心地好さを感じあって、互いにくちびるを綻ばせる。昼下がりに楽しむスイーツは、そういったものでもいいのかもしれない。

( ハニー・ソルベ )