プリズム・デザート - 8/8

 夜が明けて間もなく、ディシアはリーシャを連れてアアル村の入口まで戻ってくる。予想と寸分違わない光景に旅人が瞳を眇めながら「おはよう」と呼びかければ、ディシアは眩しそうに笑って「ああ、おはよう」と穏やかに頷く。彼女に促され、リーシャもこくんと頷いた。おはよう、と。どこか眠たげな声に、小さく笑う。日の下で改めて見据えてもなお、彼女の表情にはあどけなさが浮かんでいた。
「……リーシャ」
「キャンディス。おはよう」
 沈痛な面持ちのキャンディスに名を呼ばれながら、リーシャの表情は変わらない。それは現実を正しく認識しきれていない幼稚さゆえか、彼女が昨晩見せたような聡明さに因るものか。「だって不安は、わからないから怖いものでしょう?」ひとのこころに巣食う恐ろしさを的確に形取った彼女を白痴と呼ぶことは、誰にも出来なかった。
「貴方は、自分の罪を把握していますね」
「うん。たくさんひとを傷つけたわ」
「ええ、そして砂漠の民がようやく手に入れようとしていた希望を潰えさせたかもしれない。いまやアアル村の一員となった『エルマイト旅団』の方々も、多く負傷しました。……貴方を赦すことは、出来ません」
 険しい表情でキャンディスは語り、槍を強く握り締める。その柄が硬く荒れた大地を穿ち、乾いた土に罅が走る。
「リーシャ、貴方はアアル村から追放とします。そして二度と、死したあとの骨ですら、貴方がここに戻ることを赦しません」
 固く結ばれた指が震えている。凛とした声には微かなひずみ、麗しいかんばせは夜に沈んだまま。その表情の痛々しさに、空とパイモンはそっと指を握り込む。あのあとも、彼女から幾らか言葉を聞いた。キャンディスとリーシャは年も近く、おとなの持て余した孤独な娘はいつもキャンディスの下にまで流れ着いたのだという。彼女にとって、リーシャは最初の庇護の対象だったのだと。
「貴方はあまりにもひとを襲いすぎた、本来であれば極刑が妥当なものだったでしょう。けれど様々な状況を考慮に入れ、追放と処するに留めたのです。……ですから、決してその罰を破らぬように。もう二度と、安寧の村へ踏み入ってはなりません」
 彼女を最初にガーディアンたらしめた存在を、ガーディアンであるからこそ追放する。その痛みにディシアも苦く顔を歪め、けれど彼女から決して目を逸らさなかった。それがきっと、彼女の矜持に対して払える最大の敬意なのだろう。
「わかりましたね、リーシャ」
「うん」
 震えるキャンディスの声に対するリーシャの肯定は、水泡のように軽く淡い。仕方のないことだ、けれどそれがどうにも切なかった。
「ばいばい、キャンディス。お稽古とか、色々、ありがとう」
 それでも、稚いこころの内側にはキャンディスの守り続けたものが存在しているのだろう。だからその拙い言葉に、槍を握る指が震えたのだ。

「それで、これからリーシャはどうするんだ?」
 追放された身をせめて見送ろうと幾らか歩いたのち、やがて堪えきれなくなったパイモンが問いかける。宙を舞う小さな身をじっと見つめる瞳は好奇心に煌めいているから、パイモンの言葉など耳に届いていないかもしれない。彼女に代わって答えたのは、その肩をぽんと抱いたディシアだった。
「あたしが連れていく。こいつのやったことは、あたしにも原因があるからな」
「でも、それは」
 彼女はあっさりとそう言うが、ディシアに落ち度などひとつもなかっただろう。空は思わず反論しかけたが、彼女が穏やかな表情で首を振るからくちびるが開くことはなかった。
「こんなことが起きてもあたしはリーシャを愛してるんだよ、自分でも驚いたことにな。それならいっそ、罪ごと全部連れていくさ」
「ディシア……」
 そして、それほどまでに強い意志で以て採択された道であれば、無責任な第三者が助言の皮を被って利己的な言い分を振りかざすわけにはいかない。ディシアがそう言うなら、とパイモンとふたりで頷けば、不意に彼女の手がリーシャの頭を鷲掴みにして勢いよく下げさせた。
「ま、そうは言っても謝らなきゃいけないこともある。ほらリーシャ、旅人に言うことは?」
「ええと、突然襲ってごめんなさい」
 人形のような従順さでディシアの動きに身を委ねた人物は、言葉ののちに顔をあげる。無垢な瞳がはじめて、空をまっすぐ見据えていた。
「炎を、消さなければいけないと思ったの。でもきっと、その前に、わたしはあなたと話をするべきだった」
「……うん。だから、なにかあったら、次はこうやって話そう」
 純度の高い瞳に微笑むと、リーシャも同じように小さく笑う。「うん」頷く姿にはやはり稚さが滲んでいたが、やがて彼女のなかに埋まっていた種は芽吹いて蔓を伸ばし、芳しい花を咲かせるのだろう。外に出てひとと関わるようになるとは、そういうことなのだから。
「見送りはここまででいい。じきキャラバンもやってくるだろうから、あんたたちはそれを受け入れてやってくれ」
「あっ、そういえばそうだった……。ディシアもキャラバンを待たないのか?」
「こいつを連れて、どうやってもう一回アアル村に戻るんだよ。悪いけど今回の仕事、あたしはここで降りさせてもらうぜ。キャラバンの隊長には、キャラバン宿駅へ戻ったらあたしを探すように伝えてくれないか。そこで改めて詫びをさせてくれ、って」
 やがてディシアは旅人たちの足を留めさせ、きょとんとするパイモンに苦笑する。確かにリーシャとともに連れ立つというのであれば、そうするほかないのだろう。空は舌に薄らと広がる苦みを飲み下しながら「わかった」深く頷く。それにディシアは、眦へ安堵を滲ませた。
「それじゃあな。縁があったらまた会おうぜ」
「ふたりとも、さよなら」
 そうしてディシアとリーシャは、朝焼けへ溶けるようにして砂漠を去ってゆく。旅人とパイモンは手を振ってその後姿を見送り、太陽で灼けた瞳を軽く擦る。
「……行っちゃったな」
「そうだね」
「でもディシアは相変わらずだろうし、リーシャもディシアと一緒にいるんだから、またどこかで会えるよな?」
「うん、きっとね」
 閉じた瞼を再び開いたときに、もうその姿は見えなかったから。
 それはまるで、砂漠にきらめく蜃気楼のようだった。


First appearance .. 2023/03/05@Privatter