プリズム・デザート - 7/8

 強く、強く抱き締められる。骨が折れて、そのなかから冷たいものが流れだしてしまいそうなくらい。熱い身体に身を寄せて、身体が砕ける喜びを待つ。けれど髄は容易く折れなくて、呼吸はすぐにも止まらない。瞼の裏に見えたまぼろしが叶わなかったときの、指の間のざらついた冷たさ。それを埋めるように、自分の両手を結びあわせた。
「ディシア」
「なんだ、大馬鹿」
「……もしかして、怒っているの?」
 夜に外で出会った彼女は、わたしをそう呼んでばかり。怖いことが起きているから外へ出ないように、と。その言いつけを破っていたから怒っているのか、首をかしげて顔を覗き込む。用がないときは外へ出ていないから、約束を破ってはいないはずなのだけれど。
「ああ、怒ってるさ。怒ってるし、悲しんでるし、呆れてるし、困ってる」
「……じゃあディシアは、リーシャが嫌い?」
 それでも、彼女がわたしに怒っているというのなら。先で変わる未来のために問いかける、わたしの生死の境。ディシアはわたしをもっと強く抱き締める。骨が軋んで、うっとり、夢見心地の痛みが訪れた。
「嫌いになるか、馬鹿。そう単純な話じゃないから困ってるんだ」
「そうなのね。わたしはどうして、あなたを困らせてしまったのかしら」
 わたしを生かす腕のなかで微睡みながら、けぶった瞳をゆっくり見あげる。冷たく濾した夜の色、けれど真ん中には太陽の瞳孔。空のすべてを持つ瞳が、わたしを見下ろした。
「あんたが、あたしの友人を傷つけたからだ」
「旅人さん」
「ほかのやつらも、全員。あんたが傷つけられたら怒るのと同じように、友人を傷つけられても腹が立つ。リーシャだって、キャンディスが不当に詰られてたら嫌だろう」
「わからないわ。キャンディスを傷つけるひとなんて、いないもの」
 言葉を、たくさん積み重ねる。わからないものを、たくさん織り交ぜる。ディシアの腕のなかで首を振れば、見あげた瞳が切なく三日月。「悪いことを、してしまった?」傷が軋んだみたいな顔を撫でると、甘い幻想がほどかれる。その代わり、彼女の頬を撫でる指が包み込まれた。
「悪いかどうかは、状況によって変わる。ただ、あたしは嫌だった」
「……そう。だったら、少なくともわたしにとっては、いけないことだわ」
 彼女の指は、熱いまま。あなたの触れた炎と、きっとまったく同じ熱。わたしにとって、わたしを一番さみしくさせるもの。けれどそれ以上に、彼女を嫌がらせたくなかったから。もう、遠くに燃え盛る炎は消えない。
「それなら。あなたの熱は、もう、変わらない」
 わたしはもう、ずっと、夜の砂漠のなかに生きている。冷たく乾いた夜の砂、熱を知らずにごうごうと叫んではすとんと眠るだけの切ない世界。けれどそこに、あなたが訪れた。風砂を焼き尽くすくらい鮮烈な炎でありながら、終わりのない砂漠をひとり踏みしめる孤独を識るあなたが。
 わたしも、あなたも、夜の砂漠を飼っている。だからわたしたちは、冷たさを重ねるように愛しあった。でも今度は、その現実が幻想へ。月と太陽がすげ替わるように、思いの置換はこうも容易い。
「……リーシャ」
「なあに、ディシア」
 知ったことを失うのは、難しい。遡行も出来ず、滞留もなく、土は削れて砂になる。夜の砂漠に撒かれる赤砂を、せめて飲み干せてしまえたら。
「村を出ないか」
 けれど。赤砂を掻き寄せる指が止められる。熱い手のひらがわたしの冷たい指を絡め取って、空のすべてを持った瞳がわたしを見つめた。
「あたしと一緒に来い。『神の目』があるなら、悪いものも自分の手で追い払える」
 見あげた瞳が教えてくれる、瞳を見あげてようやく知る。きっと、夜明けって、こういうこと。
「あたしの指が熱いって言うなら、それはあたしが砂漠の外を知ったからだ。傭兵団に入って、シティに行って、アーカーシャをつけて、知識を得た。そうやって手にしたものが、あたしの熱だ」
 だからリーシャ、あんたも同じ熱を手に出来る。ディシアはそう言う。わたしの手はあなたにどれだけ包まれても、ずっと冷たいままなのに。夜が明ければやがてそこに熱が生まれると、寝しなに聞く御伽噺のように夢を指差す。
「それでも、夜は何度もくるわ。夜は、冷たいの」
「ずっと一緒なんだ、冷たい夜も一緒に明かせばいい。それでも冷たいなら、冷たいままでもいい」
「……いいの?」
「ああ。あたしが愛してるのは、そういうあんただ」
 夢は夢、冷たい幻想であったとしても、それごとすべて。御伽噺からはずれた末路にさえ、彼女はそう言ってくちづけを与えてくれる。くちびるの、少しの冷たさ。砂漠にゆっくりと染み入る、オアシスの甘露。
「……往くわ。ずっと、ディシアと」
 わたしとあなたの、温度の違い。死ぬまで同じ温度にならなかったとしても、あなたの身体がわたしの冷たい骨に寄せられて、わたしの魂があなたの熱い血潮に委ねられるのなら。
 さみしさのなかの幸福は、夜を夜のまま照らしてくれる。