プリズム・デザート - 4/8

 アアル村を中心とした砂漠の襲撃事件は進展を見せぬまま、けれど旅人はその場に留まらないからこそそう所以されるがため、空とパイモンは世界の内側を緩やかに横断する。教令院の学者からの依頼を受けて砂漠の奥深くまで身を埋めることもあれば、レンジャーたちの要請を受けて雨林に未だ残る死域の排除に勤しむことも。そうして広大なスメールの土地を忙しなく行き来しているときのことだった。
 果てが遠くけぶるキングデシェレトのかいなのうち、砂に埋もれた遺跡の調査を終えたのち。いつの間にか太陽が首を垂れてしまっていたから、旅人はエルマイト旅団が残したのだろう野営地の跡に火を焚きつける。朽ちた遺跡の柱を砂除けとしていれば、そうしている間にも肌が粟立つ。砂漠の夜は、少しぞっとするほどに寒い。日中との寒暖差というだけではない、水気を含まない空気は熱の留め方を知らないのだ。
「ううっ、寒い……」
「パイモン、こっち」
 空が身震いをしたタイミングでパイモンも小さな身体を自らでぎゅっと抱き締めたから、柱と自らの間に隙間を作って相棒を風砂と冷気から逃がす。そのついでに旅人も暖を取り、さあさあとやまぬ砂音に耳を傾けた。もう少し風が弱まるのであれば無理を押してでもオアシスまで戻るのだが、生憎と今宵は冷たい風が一際強く吹きすさんでいる。一旦はここで小休止か、と懐から干したザイトゥン桃を取りだそうとした瞬間だった。
「っ!!」
 脳天からつま先までを一刀に付されるかのような、頭蓋と胴体を斬り離されるかのような。寒気と呼ぶには生易しい鋭さが首筋の産毛に触れたから、空はパイモンを抱きかかえたまま横に跳んで砂上を滑る。「うえええ!?」小脇に抱えられながら視界が回転したパイモンを中空に離し、剣をかまえながら砂嵐の向こうを睨みつけた。
「なっ、なんだ!?」
 ざらつく視界に浮かびあがるひとのかたち、けれどその風貌は砂除けの外套に覆われて不明瞭。すべてが風砂に呑まれんとするなかで、向けられた殺気だけが確かなものとして浮かびあがっては空を刺す。
 心臓に刃を突き立てられていると錯覚するほどの、純度の高いひとつの感情。それはやがて殺気のみならず、物理的な質量を伴って旅人へ振り下ろされた。
「旅人っ!!」
「パイモンは下がって!」
 しなる鞭のような軌道を描いた刃が砂嵐などものともせずに打ちつけられ、剣の腹で斬撃を受け止めながら悲鳴をあげたパイモンを下がらせる。きちきちと刃同士が擦れあい、相手の剣を打ち払う。その瞬間に背後へ跳んで距離を取るが、ごう、一際の突風により砂塵が逆巻く。反射で瞳を庇えばその隙を狙うように相手はまた空へと刃を向けた。
 錯覚と同じ、心臓を狙わんと切っ先を向けられる。元素力を放って相手の照準をぶらせば、凶刃の持ち主も僅かに息を飲んだようだった。
「な、なぁ、こいつ、もしかして」
「……たぶん」
 互いの間合いを図るように距離を取り、空は剣の柄を握り直す。真実を探すようなパイモンに短く頷き、命のつながる箇所を愚直に狙う刃を、今度は冷静さで以て睨みつけた。
「――芽生えよ!!」
 クラクサナリデビとの共鳴によって得たちからを砂上に埋めこみ、開いた花からあふれるひかりとともに一閃。息を飲んだ相手の剣を打ち、払われるたびに一撃を重ねてゆく。砂に沈む足を強張らせながら振り下ろした剣が怯んだのは、砂塵のなかでも芽吹いたひかりがその人物を明確に敵と見做し鋭く放たれたからか。
 相手は砂上でも容易く身をひねり、更に踏み込んだ空の一撃をかわした足で草神の加護の外へ。それでも再度刃を向けられたから、すう、と細く息を吐いた。
 一撃が振り抜かれる、けれど見切ることは難くない。首を狙った刃を顔の横にまで抜いた剣で払えば、足音すら掻き消す砂の奥にその身が下がった。
「あっ、待て!」
 それと同時にあれほど振りあげられていた刃が下ろされたから、相手の取らんとする行動はこれ以上ないほどに明確。パイモンが咄嗟に声をあげ、旅人もまた敵を追いかけんと砂を蹴る。しかしながら、まるで意思持つ存在がその人物を守りでもするかのように風が吼えて砂塵が今度こそ空の視界を覆い尽くす。それでも伸ばした手が輪郭のない存在を掴むことはなく、指の腹には砂粒だけがこびりついた。
「……パイモン。どこか、遺跡に入ろう」
「お、おう」
 砂のかいなへ抱き締められるようにして凶刃は消え去り、空は浅く息を吐いたのちに身を翻して日が暮れるまで調査をしていた遺跡へ向かう。遺跡には魔物が蔓延っていたが、天地を揺るがすほどの砂嵐とは比べるべくもない。旅人とパイモンは無言で遺跡の内側へ潜り込み、青くひかるキングデシェレトの威光の下でようやく息を吐くことが出来た。
「なぁ、さっきのって前にディシアやキャンディスが言ってたやつだよな?」
「うん、たぶん。まさか本当に砂嵐のなかで襲ってくるとは、思いもしなかったけど」
 答えあわせをねだるようなパイモンに頷き、空は砂嵐の襲撃者を思い返す。逆巻く砂塵をものともせずに剣を振るう姿は幾多もの死線をくぐり抜けた旅人の目すら見張るものがあり、成る程あの様子であればラフマンの部下ほどの実力者が膝を突いたのも頷ける。人間を相手取るのと、天災に立ち向かうのは、わけが違うのだ。
「まさか、こんな砂漠の真ん中で会うなんてな……」
「そうだね。……帰り、アアル村に寄ろうか」
「おう、そうしようぜ。あいつが出たってこと、キャンディスに伝えなきゃな!」
 夜の砂嵐と深い外套のため、会敵してなお相手の正体は不明瞭。空たちがキャンディスに伝えられるのも警告が関の山ではあったが、輪郭のざらついた相手に関しては些細な情報も共有しておくに越したことはないだろう。
 それに、と空は遺跡を支える太い柱の一本に背を預けながら自らの指で頬をなぞる。首を狙った刃、弾いた切っ先で僅かに裂かれた頬。触れた傷は熱を孕むどころか、血が凍って張りつくほどに冷たかった。

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 一夜とともに通り過ぎた嵐を見送り、旅人たちはオアシスを経由して砂漠をわたる。やがて荒野と砂漠の境目に坐す集落へ身を寄せると、空は凛然と佇む守護者の下へ足を向けた。
「キャンディス」
「旅人さん、パイモンさん。ようこそおいでくださいました」
「おう! 今日はディシアもいるんだな」
 いつ顔を見せても変わらず柔らかな物腰で来訪を歓迎してくれるキャンディスはオアシスを連想させる豊潤さで以て、自然と空たちの表情をほどかせる。旅人が眦を僅かにほころばせている横ではパイモンが宙を蹴り、ディシアと目線をあわせていた。
「ああ、最近は出来るだけここら辺にいるようにしてる」
「例の事件の犯人は、まだ?」
「相変わらずだな。キャラバンは護衛を増やさせたり、砂漠をわたるときはどんなに短い時間でも単独行動は避けるように言ったりして、被害は多少減らしてるんだが」
 空の言葉に首を振るディシアの眉間には珍しくも皺が寄っており、キャンディスも柔和な笑みを崩して苦々しさに瞳を揺らす。襲撃への備えも長期間にわたればキャラバンへの負担となり、それらは彼らを砂漠から遠ざける種となるのだ。結局のところ、原因の根幹が切除されない限り。そしてそれに関しては、蜃気楼の正体も未だわからないままのようであった。
「なぁ、空」
 パイモンが空の耳元でそっと囁き、それに小さく頷いて返答する。「ディシア、キャンディス」ふたりへ改めて呼びかければ二対の瞳が向けられ、空は砂嵐の夜を思いだした。なにもかもがわからなかったなか、向けられた殺気の鋭さは彼女たちの瞳に宿る意思の強さとどこか似ている。
「この間、たぶん、その襲撃者に襲われたんだ」
「なっ……マジかよ? よく無事だったな」
 アアル村へ立ち寄った目的を果たすべくくちを開くと、ディシアの瞳が見開かれる。彼女の表情は怪我らしい怪我を負っていない旅人への感嘆も込められているようであったが、空はそれを受け取ることなく首を振った。
「相手の姿は外套でわからなかったけど、そんなに腕の立つ相手じゃないと思う」
「……これほど多くの被害者が出ているというのに、ですか?」
「夜襲だったからじゃないかな。あと、砂嵐のなかでも動けてたから。剣の腕だけなら『西風騎士団』の見習い騎士のほうがよっぽど上手いよ」
 空がさしたる怪我を負っていないのは、相手の実力がそのまま表れているからに過ぎない。キャンディスはその言葉が信じ難いのだろう黄金の瞳を訝しげに眇めたが、相手と打ちあった感触はともすれば言葉よりも雄弁なもの。一撃の軽さや振り抜く剣の単調な動きは、子どもの戯れを彷彿とさせるほどであった。
 件の人物が襲撃事件の実行を可能としているのは、自らだけが動くことの出来る環境下での奇襲を繰り返しているからだろう。どういった原理が仕込まれているのかまではわからなかったが、砂嵐のなかでも平然としたその人物の様子は剣の軽さに並ぶ事実であった。
「成る程、相手は自分の武器を最大限に活用して狩りに勤しんでるってわけか」
 それならキャラバンには、引き続き護衛を強化するよう伝えて間違いなさそうだな。ディシアが冷静にそう呟き、キャンディスが被害の現状と旅人の所感の差に困惑しているのは、ふたりがそれぞれ傭兵と守護者だからなのだろう。傭兵は現実主義者でなければ成り立たないのだと、旅人はディシアから教わった。
「大した腕の持ち主じゃないんなら、捕まえりゃそれでしまいなんだが……問題はそいつが見つからないことなんだよな。旅人、ほかに情報は?」
「見た目はなにも。ただ……うん、極端に小さくはなかったし、大男ってわけでもなかった」
「それだけでも充分だ、いままではそれすらわからなかったんだからな。標準的な体格だから逆に、誰もなにも言わなかったってわけだ」
 溜息とともにこぼされた言葉に、成る程、と不思議な納得。万人と同一であればその特徴は指摘されることなく埋没する、それは群衆において身を隠すときいがいにも充分に活用可能な隠密技術であるらしい。そのうえ夜の砂嵐に乗じて襲われているのだ、その特異な状況に気を取られ当事者たちもほかの情報を取り落としたのだろう。それこそ、砂漠に撒いた砂粒が見つからなくなるように。
「……あと」
 それならば、と、空は爪と皮膚の間に残っていた砂をつまみだす。
「相手は『神の目』の持ち主だ」
 たったひとつだけ色の違う、宝石の砕片。確信とともに告げた言葉にはディシアとキャンディスだけでなく、パイモンさえもが目を見開いた。
「そっ、そうなのか!? でも別に、あいつは元素力を使ってなかったよな?」
「ほとんど使ってなかったけど、最後の一撃だけは使ってた」
 炎が逆巻くわけでもなければ、雷鳴轟く記憶もない。けれどと空は、ほとんど治りかけの傷跡を指でなぞる。頬に走った、ひと筋の浅い傷。皮膚を裂かれながらも血がしたたり落ちることのなかった、冷たい痛み。それが旅人の予想を確信にさせていた。
「氷元素の『神の目』の持ち主に気をつけて」
「……わかりました。明日シティへ戻るキャラバンの皆さんには、私からお伝えします」
「ああ。あたしはラフマンへ声をかけておく」
 『神の目』の持ち主であれば戦う技術が未熟であろうと奇襲も可能となるだろうし、場合によっては砂嵐を征服する権能とも成り得る。空が持たない願いの結晶は、それほどまでに強大なギフトなのだ。
「貴重な情報提供、本当にありがとうございます」
「ううん。俺も、出来るだけ探してみる」
 触れてなお感触のない蜃気楼は、冷たく乾いた砂だけを手のひらに残している。そのざらついた感触を思い返しながら、空は密やかに息吐いた。
 かの人物が七神と目をあわせているのなら。どのような願いを見出され、この凶行と繋がっているのだろうか。そう空想したところで、そこに現実の質感はないのだけれど。