プリズム・デザート - 3/8

 ゆっくり、ゆるり、意識が少しずつ持ちあがる。風に吹かれた砂がかたちを変えるような、気まぐれで気ままな変化。砂は吹かれて、やがてそこにあった岩土の肌を剥き出しにする。そのときになって、わたしはようやく瞼を開く。カーテンの隙間から漏れるひかり、空の真上にないからこそ鋭くて目を刺すもの。それから逃げるように顔を背ければ、まるでわたしを守るように、瞼へ木陰。
「起きたか?」
「……ディシア」
 太陽から逃げるわたしを守る指は肌に触れる寸前で留められていて、ああ、それなのに彼女の熱がよくわかる。両手で彼女の指に触れれば、そこには夕暮れの焦げついたような熱が灯っていた。
 頬を寄せて、指先にくちびるで触れる。「おかえりなさい、ディシア」薄暗い寝所で囁くと、彼女の瞳が優しくたわんだ。「ただいま、リーシャ」わたしだけに注がれる声、そのぬるい温度が、わたしにとってオアシスの甘露。
 ようよう身体を起こして抱き着けば、小さな笑い声と一緒に抱き締められる。触れた皮膚のしたで、火をつけた竃の傍のようにじんわりと熱がけぶる。外から帰ってきたとき、彼女がいつも孕む熱。太陽に焼かれた、ひとの身体。
「無事でよかった。あたしが離れてる間、なにか妙なことはなかったか?」
「不思議なことを言うのね、ディシア。無事を喜ぶのは、わたしであるべきなのに」
 熱っぽい肌から少し離れて、それでも彼女の腕のなか。目覚めたばかり、にぶくとろけた意識のうちは、ここが一等心地好い。わたしはディシアの二の腕にみつけた新しい傷の跡をなぞる。労わりの愛撫は言葉もなく咎められ、指は絡め取られてしまった。
「なにもなかったならいい。……最近この辺りで、物騒な事件が起きてるらしくてな」
「物騒? ここはいつも物騒よ。差別、暴力、人災、害獣、なんでもあるわ」
「へえ、あたしの大事な人間を傷付けようだなんて不逞の輩がまだいるのか?」
「ふふ。大丈夫よ、ディシア。もうしばらく、そういうものはやってきていないわ。きたとして、扉を開けなければいいだけのこと。家のなかでじっとしていれば、そういうものは大概やり過ごせるの」
 砂がすぐに覆い被さってしまうせいですぐに埋もれる、悪いもの。わたしを蝕み食い散らかそうとする、怖いもの。そういうものにも疾うに慣れたから心配する必要はないのに、ディシアはわたしに群がる悪いものをいつも焼き払う。彼女の声に爆ぜる火の粉を感じたから、わたしはそれを抱き締めた。彼女の炎の端っこで肌のごく表面が焼かれる瞬間、とっぷりと、そのしたが深く安心するから。
「外はまた、怖いことが起きているのかしら」
「ああ。だからリーシャ、あまり外を出歩くなよ。食糧や水は昼のうちに家の前へ運んでもらうよう、ラフマンに頼んでおくから」
 少し前にも怖いことが起きていて、そのときもディシアはわたしに扉を閉めさせた。遠く村の中心がさざめいていた頃、知らないひとがたくさん出入りしていたらしいとき。悪いものから、わたしを守るために。あかあかとした炎は私の皮膚を焦がさずに、ずっと遠くで燃えていた。
「……最近、アアル村へきたひと」
「ああ、そうだ。この間話しただろ、でかい仕事を一緒に片付けた同業者だ」
「……旅人さん、マハマトラさん、書記官さん」
「そう、そいつらとも一緒にな」
 わたしを抱き締めるディシアはここにいる、それなのに不思議と彼女は遠くにいた。遠くにいたから、よく見える。揺らめく炎の色、空気を燃やす温度、焼き払われたものの焦げた匂いさえ。わたしの肌を焼いたのは陽炎、本物の炎は、ずっと遠くに。
「まだあいつらと顔をあわせたことはなかったよな。ちょうどいま、旅人もきてるんだ。せっかくだし顔を見せにいかないか」
「おかしなことを言うのね。外を出歩くなと言ったのは、あなたなのに」
「それはあたしがいないときの話だろ」
 わたしの手を引こうとする指先は熱くて、熱くて、だからわたしは首を振る。ディシアは言葉を変えて幾らもわたしを呼んでくれたけれど、いやよいやよと首を振り続けていれば、やがて諦めたようだった。
 終わったらすぐ戻ってくるから。額のくちづけに約束が添えられ、じき月へすげ替わる太陽に向かってゆく彼女を薄暗い寝所から見送る。目の奥でちかちかと残る彼女の後姿までに行ってらっしゃいと手を振ってから、わたしはようやくベッドを降りた。
 小さな棚の引きだしを開けて、アクセサリーをひとつ取りだす。ひんやり冷たい、あなたからの贈りもの。わたしに一番馴染む、瑞々しさの足りない、滾々とした冷たさ。両手で包んで、頬を寄せて、目を閉じる。
 わたしとあなたの、温度の違い。開くばかりであるとわかるから、わたしはあなたの手招く先を選べない。