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ケーキ・ドームの内側から

 ヌヴィレットとの打合せを終え、彼の執務室をあとにする。叶うならば会議のあとには紅茶の一杯でも楽しみたいところではあったが、本日も多忙な審判官殿は午後にエピクレシス歌劇場で行われる審判のため間もなくパレ・メルモニアを発たなければならないらし…

花びらは砂糖に埋めて

 丁寧な見送りを受けるとともに重厚な扉を開き、煌びやかな『ホテル・ドゥボール』から夜の緞帳が下りて久しいフォンテーヌ廷へ足を踏みだす。流れる空気はしっとりとしていながらも僅かな冷たさを孕んでいたから、リオセスリは自らの右腕へ身を寄せる女性の…

真珠は海に、星は夜空に

▽ 細やかに敷き詰められた石畳をようやくすべて磨き終え、折り曲げていた身体をようよう引きあげる。全身に痛みと倦怠感、大きく息を吐きだして夜空を仰ぐ。見あげたとて網膜が軋むことのない、微かなひかりが散りばめられているだけの濃紺。海底によく似た…

花はほころぶ、蝶は飛ぶ

「いっただっきまーす!」「はいどうぞ、たくさん召しあがれ」 お夕飯の時間になったら全員集合して、みんなで一緒に食卓を囲む。我が家のルールはいつも通り、今日のご飯も味は最高。ジャガイモの煮っころがしが美味しくてそればっかり食べちゃってたら「こ…

主よ、人の望みの喜びよ

 太陽がじりじりと頂点を焦がし、皮膚にはじっとりと汗が滲む。蒸発しきらない水気が頬を伝い、それを手の甲で拭って吐く息にすら熱がこもっている。肉体持つ生命のすべてを燃やさんとする夏の日差しは、けれど植物たちにとっては腕を伸ばすほど待ち焦がれて…

キッチンから愛を込めて

「それじゃあ行ってくるけど……本当に大丈夫?」「大丈夫だってば、子どもじゃないんだから。お母さんこそ、気をつけてよね」 夏休みが始まって、三日目のこと。家を空けることになった母を見送ろうと立った玄関では、大きなキャリーケースを引いた母が、そ…

獅子への嫁入り

 目が覚めて、肉体を起こし、支度を整える。ひとの身を得ることで増えた手間は手がかかると同時、快く心地好い。そもそも余分な行為を愉快に感じるこころがなければ、人間と同じ姿かたちでの受肉はしまい。獅子王は稲穂色の髪を飾りのついた結い紐でひとつに…

02:反りが合わない刀もある

 定めた業務時間が終われば、この本丸においては翌日の業務開始までが自由時間。夕食は全員で食卓を囲うことがすっかり定番化したけれど、正直それも自由参加だ。まあその食卓に便乗すれば自分で食事を用意する必要がなくなるので、そりゃあ誰もがそこに集う…

閑話01:今日も明日も頂きます

「いっただっきまーす!」 食べる前から大満足ボイスと一緒に手をあわせたのは国俊、その隣ではブロック・ブレッド肯定派のくせしてちゃっかり相伴に預かっている国行。三日月さんはずいぶん上機嫌に漆の箸を手にしていて、吉行はにっかにっかとご機嫌な顔で…

01:本丸稼働五日目で起きた米騒動

 始業時間は午前九時半、終業時間は午後六時半。なにもかもが定まっていないサーバー改め本丸内でとりあえず就業時間の大枠だけを決めて、あとは疑問が挙がったタイミングで随時解決を図ることにする。国俊曰く、「そうでなきゃ主さん、雁字搦めになって決め…

00:なるようにするだけ

 都内某所のオフィスビル。スーツを着こなした死んだ顔に混ざってエレベーターですし詰めにされたのち、二重のセキュリティゲートを通過。そこのところは一級品のくせして、何故か最後は扉を人力で開くアナログ方式。ドアノブを下ろして足を踏み入れたるは見…

あとは野に散る薔薇となる

 まるで獣めいた人間の咆哮、咆哮の如き鬨の声。最前線でそれを煽る身でありながら、意識の奥底が戦争に必要なものを冷たく嗤う。言い知れぬ精神の乖離にも、そこから目を逸らし続ける諦念にも、この五年で疾うに慣れてしまった。慣れなければ、戦争などする…