都内某所のオフィスビル。スーツを着こなした死んだ顔に混ざってエレベーターですし詰めにされたのち、二重のセキュリティゲートを通過。そこのところは一級品のくせして、何故か最後は扉を人力で開くアナログ方式。ドアノブを下ろして足を踏み入れたるは見飽きるほどに見慣れたオフィス。疎らな声の「おはようございます」に同じ声をぼそっと返しながら自席へ着席、始業時間の十分前にパソコンを起動させる。
幾ら時代が進歩しても仕事はオフィスでしなくちゃいけないから、電車とエレベーターの過密具合は百年前から変わらない。在宅勤務が流行した頃もあったらしいのにそれが定着しなかったのは、結局のところ社員の自宅にこれほど高性能な機械を導入・運用するのが現実的じゃなかったからだろう。いつの時代も世知辛くケチくさいものである。
生あくびを噛み殺しながらシステムにログインする横では既に仕事を始めているエンジニアの深い溜息。うちの会社の大黒柱は今日も今日とて馬車馬の如き労働量、世間話がてらそちらの業務内容に好奇心で首を突っ込んだこともあるがその程度で理解出来る中身であれば専門職なんて生まれない。せめてもの労いにデスクへ常備しているブロック・ブレッドを差しだせば、お礼のハンドサインとともに受け取られた。
「藤咲」
「はい?」
インカムをつけて仕事に対する重い腰をようやくあげようとしたところで、唐突に部長から名前を呼ばれた。難しい表情でいる部長の手招きに、なにかミスったっけと数日分の業務ログを脳内で再生。特にヤバめのミスはしていないはずなのだけど、それならどうして部長から直々に声がかかるのか。内心で冷や汗を掻きながらインカムを下ろす。
「ごめん、ちょっとワンオペお願い。溢れてきたら今日は加賀が応援出せるはずだから」
「了解でーす」
ともにオペレーター業務をしている後輩ののんびりとした声に背中を押され、私は部長のあとを追いかける。自席前どころか部屋まで変えるとは何事か。わざわざ小会議室の椅子を引いた部長の前の席で、さすがの私も若干肩を強張らせた。
「あの、部長。私なにかやらかしました?」
「いや、それは大丈夫なんだが。……ちょっと、人事的な話が出てきてしまってな」
一番恐ろしいのが仕事の大穴だったから、とりあえずはその可能性を消されて安堵する。けど続いた言葉が言葉だったから、肩からちからは抜けきらなかった。別にいまは辞令が飛ぶ時期でもない、だというのに人事方面の話だなんて安心出来るわけがないのだ。
「まさか、地方転勤ですか?」
「いや、あー、うーん……」
「なんでそんなに微妙な反応なんですか」
私の言葉を否定しようとしてしきらない、どうにも歯切れの悪い返事だったから尚更に。いったいどういうことだと黙って待つこと数十秒、沈黙のなかへ押し込まれるには些か長すぎる時間のあとで部長は私より三倍は重そうにくちを動かした。
「……藤咲、うちの会社の提供サービスは?」
「各種インフラの保守、ですけど」
「お前の所属部門は?」
「ネットワーク部ですね」
「お前がオペレーターをしているのは?」
「官公庁の仮想現実とそれに付随するネットワーク案件、です……」
新入社員相手の押し問答めいたことを重ねられれば、否応無しに過ぎる可能性がある。つまりそれは、私の業務に絡むがゆえの異動であるのだと。そして私の配属された部署には、そういうもの、が少なからず存在しているのだ。ほぼ都市伝説レベルのものだったとしても。
頬は勝手に引き攣って、それを見た部長が苦い顔で溜息と同時に「ああ」頷く。どうやら私の前には、都市伝説がそびえ立ったらしかった。
「文科省から人事部経由で要請があった。――お前に、『審神者』になって欲しいそうだ」
西暦二千百年代後半、人類の戦争史は大きな転換点を迎えた。それまで同惑星内の、いわば他国との戦争や自国内の紛争しかなかったところに、新たな次元の戦争――異なる時間軸に対する戦いが発生したのである。
科学技術の目覚ましい発展によりタイムリープがすわ現実味を帯びようとしたことが関係でもしているのか、現代を変革ないし破壊させるべく過去の歴史へ干渉する存在が現れた。それを放置していては当然ながら過去の蓄積により成り立つ現代は崩壊する、けれどタイムリープで現代の人間を過去へ送ってしまってはそれこそが歴史干渉だし、なにより現在でもタイムリープの技術は安全性と再現性が確立されていない。未来の人間が過去を守るだなんてのは、未だ御伽噺に過ぎなかった。
けれど人類は、タイムリープに代わる対抗手段を発見した。それが『付喪神』――人類史ありきで存在する事物を基に人間的な精神を構築させた、人間的でありながら人間ではない存在である。ちなみにこれは現代的なものではなく、過去の文化・文明を基にしたものが推奨される。過去の歴史へ干渉する際にオーバーテクノロジーを送り込むことも歴史干渉に当たるからだ。
この『付喪神』というプログラムを制御・実行する権限を持つ存在が『審神者』と呼ばれている。そして私、藤咲あとりの所属部署で絶賛保守業務実行中のエンドユーザーが、なにを隠そうこの『審神者』の皆さんであった。
「『審神者』って審神者適性がなきゃ選出されないですよね? なんで? どこで見られたんですか?」
「先週お前、人間ドック受けてきただろう。その検査結果が適性枠内だったらしい」
そしてこの『審神者』職、現代の科学の粋を結集したものであると同時に霊妙な要素も備えており大変人気の職業なのだが、エントリー方法がほぼ存在しない。一定の知力に精神の安定した連続性ないし強靭な精神力、また基礎疾患がないなど基本的な健康状態などを複合的に確認する『審神者適性検査』で適性値を出すことが唯一かつ絶対条件であるのだが、その適正水準は公開されていないのだ。
「なんで私の検査結果が文科省にまで回ってるんですか!?」
「いまどきどの健診データも審神者適性検査に回されるし、検査前の同意書に項目あっただろ」
「たっ……しかにありましたけど、本当にそれで適性通達くると思わないじゃないですか!!」
しかもその検査、自分で受けにいくことも出来ず、こうして健康診断や人間ドックの結果を政府が集約し検査しているのである。そして『審神者』職への適性があった者にはその旨がこうして通達される。そればっかりは私もいま初めて知ったわけだが。
「しかも私、去年も一昨年も人間ドック受けてるんですよ? なんで今年引っかかったんですか」
「詳細は人事部に聞いてくれ。……まぁお前も官公庁案件のオペレーター業務が長いから、『審神者』への理解が深くなって適性が出たのかもな」
それなら我が社のオペレーターは今後『審神者』として引き抜かれまくってしまうことになるが、部長はその点いかがお考えなのだろうか。けど部長のいわんとすることも、まあ、わからないわけではなかった。
『審神者』と『付喪神』は、その名前ほどミステリアスでオカルトに寄りすぎた存在ではない。まずここでいう『付喪神』とは、基本的には本物の付喪神ではない。人間性の顕現が可能であると判断された事物に決まった手順でアクセスすることで生成される、本物の付喪神のアバターだ。そのため『付喪神』は事物かける『審神者』の数だけ存在する。
しかし、ひとつの現実で顕現可能な『付喪神』は一体だけ。たとえば金閣寺の付喪神イと付喪神ロが現在に存在し、それぞれを使役する審神者が付喪神イとロを遭遇させた場合、その付喪神は消滅する。ひとつの現実に複数存在していた完全な同一個体が遭遇することで、情報の整合性にエラーが発生したからだ。
だが政府は歴史干渉への唯一の対抗策である付喪神を、可能な限り多く使役させたい。そのため『審神者』は個々に与えられた仮想現実上で職務の実行を義務付けられた。『付喪神』の顕現を仮想現実内に限らせることで、情報整合性の矛盾による消滅を防いでいるのである。
つまり『審神者』は長期間を仮想現実で過ごすことになり、現実の肉体はその間コールドスリープされる。精神強度だの健康問題などが審神者適性に絡んでくる最大の理由がこれだった。『審神者』は仮想現実上に脳や精神をスキャン・アップロードし、そのデータを基に仮想現実で再構成される。現実の自己と仮想現実の自己が自己矛盾を起こさないと判断された者にしか『審神者』職は務まらないのだ。
この『審神者』が生活する仮想現実のサーバーや、現実と仮想現実を繋ぐネットワークを保守しているのがうちの会社で、私はその部門のオペレーター、つまり『審神者』の皆さんから「作ったはずの刀装が消えちゃったんです」だとか「江戸時代からの帰還時にルート上でノイズが走ったって言ってて」だとかの問い合わせを受けてはエンジニアに走ってもらう窓口役だった。そりゃあ嫌でも『審神者』への理解は深まるに決まっている。
「ちなみに部長、それって断ること」
「適性検査の結果を覆すようなデータが提出されない限り不可能だ。諦めろ」
「ううう……」
理解は深まるが、なりたいかと問われれば話はまったく別問題。ただでさえ社畜極まっていて毎日疲労困憊で業務を必死にこなしているなかでさえ問い合わせを受けては思わず同情するような業務、大変申し訳ないが自分でやりたいとは思わなかった。私はそれほど仕事に生き甲斐を覚えていない。
けれど『審神者』は人気職ながら常に人員不足、そして国どころか世界の危機への対抗手段のため審神者適性有りと判断された者は徴兵よろしく『審神者』業を強制されるのである。
「せめて雇用形態と基本給と賞与と就労条件と保険労災の確認が出来ないと嫌です……」
「どういう嘆き方だ。人事部に全部問い合わせてやるから!」
こうしてしがない保守会社のオペレーターだった私は、なんの脈絡もなく唐突に『審神者』と成り果せたのである。